小林躋造(読み)こばやしせいぞう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「小林躋造」の意味・わかりやすい解説

小林躋造
こばやしせいぞう
(1877―1962)

海軍軍人。広島県生まれ。1898年(明治31)海軍兵学校卒業。日露戦争に参加。戦後、海軍大学校を卒業。1920~1922年(大正9~11)イギリスの大使館付武官を務める。1923年軍務局長。1926年中将に進む。1927年(昭和2)のジュネーブ軍縮会議には全権随員として派遣される。1930年のロンドン軍縮問題に際しては条約締結に努力し、条約派と目された。1930年海軍次官、1933年には連合艦隊司令長官、海軍大将となる。1936年予備役編入ののち、1940年まで台湾総督を務める。太平洋戦争中は東条首相退陣を目ざすグループと結び早期終戦を唱えた。1944年7月小磯(こいそ)内閣が成立すると、翼賛政治会総裁に就任、貴族院議員勅選され、ついで国務大臣として入閣した。戦後は戦犯容疑で巣鴨(すがも)拘置所に収容されるが、1947年(昭和22)釈放。

[北河賢三]

『伊藤隆・野村実編『海軍大将小林躋造覚書』(1981・山川出版社)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「小林躋造」の解説

小林 躋造
コバヤシ セイゾウ


肩書
貴院議員(勅選)

旧名・旧姓
旧姓=早川

生年月日
明治10年10月1日

出生地
広島県

学歴
海兵〔明治31年〕卒 海大〔明治42年〕卒

経歴
大正2年から英米に駐在、「平戸艦長、海軍省副官、9年英国大使館付武官、のち軍務局長を歴任。昭和2年ジュネーブ軍縮会議随員、帰国後練習艦隊司令官、艦政本部長、5年海軍次官、6年連合艦隊司令長官、8年大将、軍事参議官、11年予備役となり台湾総督。19年貴族院議員、翼賛政治会総裁、小磯国昭内閣国務相となった。

没年月日
昭和37年7月4日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「小林躋造」の解説

小林 躋造
コバヤシ セイゾウ

明治〜昭和期の海軍大将,政治家 貴院議員(勅選)。



生年
明治10(1877)年10月1日

没年
昭和37(1962)年7月4日

出生地
広島県

旧姓(旧名)
早川

学歴〔年〕
海兵〔明治31年〕卒,海大〔明治42年〕卒

経歴
大正2年から英米に駐在、「平戸」艦長、海軍省副官、9年英国大使館付武官、のち軍務局長を歴任。昭和2年ジュネーブ軍縮会議随員、帰国後練習艦隊司令官、艦政本部長、5年海軍次官、6年連合艦隊司令長官、8年大将、軍事参議官、11年予備役となり台湾総督。19年貴族院議員、翼賛政治会総裁、小磯国昭内閣の国務相となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小林躋造」の解説

小林躋造 こばやし-せいぞう

1877-1962 明治-昭和時代前期の軍人
明治10年10月1日生まれ。イギリス大使館付武官などをへて,昭和2年ジュネーブ軍縮会議の随員となる。ロンドン軍縮条約の締結に尽力。6年連合艦隊司令長官。海軍大将。予備役編入後,台湾総督。のち小磯内閣の国務相。昭和37年7月4日死去。84歳。広島県出身。海軍大学校卒。旧姓は早川。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「小林躋造」の解説

小林 躋造 (こばやし せいぞう)

生年月日:1877年10月1日
明治時代-昭和時代の海軍軍人;政治家。海軍大将;貴族院議員
1962年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

カイロス

宇宙事業会社スペースワンが開発した小型ロケット。固体燃料の3段式で、宇宙航空研究開発機構(JAXA)が開発を進めるイプシロンSよりもさらに小さい。スペースワンは契約から打ち上げまでの期間で世界最短を...

カイロスの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android