小沢城跡(読み)おざわじようあと

日本歴史地名大系 「小沢城跡」の解説

小沢城跡
おざわじようあと

[現在地名]多摩区菅、東京都稲城市矢野口

大部分が川崎市に属し、市の北端、現在読売よみうりランドのある多摩丘陵から東へ突出した尾根の先端部に位置する。尾根続きの小沢峰と浅間せんげん山を中心に東西を掘切られた範囲が城跡とされる。

「風土記稿」は小沢小太郎居城と伝え、小太郎は鎌倉幕府の御家人稲毛重成の子とされるが、史料のうえでは小太郎の名はみえない。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)六月二三日条によれば、稲毛重成が畠山重忠殺害の首謀者として誅せられた際、子息小沢次郎重政もともに誅せられている。また同書同年一一月四日条には「小沢郷稲毛入道遺領」とみえており、当域は稲毛氏の一族小沢氏との関係が深いと思われる。城の主要部分と考えられる小沢峰と浅間山の南面の山腹遺構がよく残り、幾段にも削平されて、周りに切岸・土塁・平場・掘割などが設けられている。

小沢城跡
おざわじようあと

[現在地名]沼田町田町 中城

四釜しかま川支流の小沢川の北、町田まちだ町字中城なかじようにある。東・南を小沢川の崖で、北・西を二条の空堀をめぐらせて守る構えで、同堀跡・内郭跡などが残る。平家沼田氏系図(法城院文書)では沼田氏八代景朝が応永一二年(一四〇五)荘田しようだ城から移り永正一六年(一五一九)幕岩まくいわ城へ移るまでの四代一一四年間在城したとみえる。京都相国しようこく寺の僧万里集九は長享二年(一四八八)九月、江戸からの帰途、沼田の地を通っており「梅花無尽蔵」同月晦日に「午後入沼田館、宿・鍛屋、自江戸至沼田城、三百里程」とみえるが、この沼田城は当城のことと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報