日本歴史地名大系 「小沢城跡」の解説
小沢城跡
おざわじようあと
大部分が川崎市に属し、市の北端、現在
「風土記稿」は小沢小太郎の居城と伝え、小太郎は鎌倉幕府の御家人稲毛重成の子とされるが、史料のうえでは小太郎の名はみえない。「吾妻鏡」元久二年(一二〇五)六月二三日条によれば、稲毛重成が畠山重忠殺害の首謀者として誅せられた際、子息小沢次郎重政もともに誅せられている。また同書同年一一月四日条には「小沢郷稲毛入道遺領」とみえており、当域は稲毛氏の一族小沢氏との関係が深いと思われる。城の主要部分と考えられる小沢峰と浅間山の南面の山腹に遺構がよく残り、幾段にも削平されて、周りに切岸・土塁・平場・掘割などが設けられている。
小沢城跡
おざわじようあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報