日本歴史地名大系 「小田喜城跡・大多喜城跡」の解説
小田喜城跡・大多喜城跡
おだきじようあと・おおたきじようあと
夷隅川中流左岸の丘陵地に築かれた中世および近世の城跡。平山城、県指定史跡。中世の城は小田喜(小多喜)城・
〔中世〕
南北朝―室町期には鎌倉府政所執事であった二階堂氏一族の所領が当地にあって、復庵宗己を開山に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
夷隅川中流左岸の丘陵地に築かれた中世および近世の城跡。平山城、県指定史跡。中世の城は小田喜(小多喜)城・
南北朝―室町期には鎌倉府政所執事であった二階堂氏一族の所領が当地にあって、復庵宗己を開山に
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...