小野宿(読み)おのしゆく

日本歴史地名大系 「小野宿」の解説

小野宿
おのしゆく

[現在地名]彦根市小野町

中世の東海道(古代の東山道、近世の中山道)に設けられた宿。「実暁記」に京都―鎌倉間六三宿の一としてあげられる。前宿は四十九院しじゆうくいん宿(現犬上郡豊郷町)、次宿は番場ばんば宿(現坂田郡米原町)。「平治物語(義朝奥波賀に落ち著く事)に、平治の乱で敗北した源義朝一行が、かがみ宿(現蒲生郡竜王町)を経て「小野の宿より海道をばめてになして」、小関こぜきをさして落延びたとあり、平安時代から宿の機能をはたしていたとみられる。元仁二年(一二二五)信生法師(塩谷朝業)は京から鏡を経て「小野の宿」に着き、宿泊した(信生法師集)


小野宿
おのしゆく

[現在地名]鳴瀬町小野

気仙けせん道と石巻いしのまき街道の分岐点であり、北方遠田とおだ涌谷わくや(現涌谷町)に向かう涌谷街道、南方大塚おおつか浜などへの道が通る。通称深谷ふかや郷の経済流通の要地であった。宿の東端に天保一三年(一八四二)に建立された高さ二メートル余の井内石製の道標があり、「右 いしのまき」「左 ひろぶち」とある。「安永風土記」によると、宿はもと町・町の二町で形成されていた。


小野宿
おのしゆく

[現在地名]川崎町小野

仙台城下へ通じる笹谷ささや街道の宿駅で、東の碁石ごいし宿から一里一七町余、西の川崎宿へ三五町余。古代東山道の小野駅家の比定地は当宿のある小野村一帯と考えられており、古くから交通の要地であったと思われる。寛文六年(一六六六)の脇街道通行取締嘆願書(佐藤作次郎家文書)に小野町とみえ、すでにこの頃には近世の宿が成立していたと考えられる。安永年中(一七七二―八一)運賃碁石宿まで本荷三七文・軽尻二四文・賃夫一八文、川崎宿まで本荷二四文・軽尻一六文・賃夫一二文。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「小野宿」の解説

小野宿

(長野県上伊那郡辰野町)
信州の民家・街並百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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