斯波義敏(読み)シバヨシトシ

デジタル大辞泉 「斯波義敏」の意味・読み・例文・類語

しば‐よしとし【斯波義敏】

[1435~1508]室町中期の武将斯波義健しばよしたけ没後その養子となったが、重臣朝倉・織田らと合わず、家督を退けられた。のち、義廉よしかどと家督を争い応仁の乱一因を作った。

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精選版 日本国語大辞典 「斯波義敏」の意味・読み・例文・類語

しば‐よしとし【斯波義敏】

  1. 戦国時代の武将。斯波義健死後その養子となったが、重臣朝倉、織田らと合わず、家督を退けられた。やがて義廉と争って応仁の乱の一因となった。法名道海。永享七~永正五年(一四三五‐一五〇八

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朝日日本歴史人物事典 「斯波義敏」の解説

斯波義敏

没年:永正5.11.16(1508.12.8)
生年:永享9(1437)
室町時代の武将。持種の子。左兵衛佐,左兵衛督。享徳1(1452)年斯波宗家の義健が嗣子のないまま没したため養子に迎えられ,越前(福井県)・尾張(愛知県)・遠江(静岡県)3カ国の守護職を継ぐ。斯波家の宿老甲斐常治と対立し,康正2(1456)年常治の専横幕府に訴えるがかえって敗れ,斯波家臣を二分しての両派の抗争は長禄2(1458)年越前一国におよぶ合戦に発展した。翌年将軍足利義政から関東出陣を命じられると,義敏は京都を出てそのまま越前敦賀に甲斐勢を攻めるが,敗れる。そのうえ幕府からは家督を追われたため,大内氏を頼って周防(山口県)に下った。跡を継いだ子の松王丸(義良)も寛正2(1461)年退けられて渋川氏から義廉が迎えられたが,持種の伊勢貞親ら義政寵臣への働きかけにより,文正1(1466)年7月家督の奪還に成功した。しかし,9月貞親らが失脚すると,家督は再び義廉に移る。応仁の乱が始まると細川勝元率いる東軍に加わり,応仁1(1467)年5月越前に下って義廉方を圧迫した。翌年義廉のもと山名宗全率いる西軍にあった朝倉孝景が東軍に寝返ったが,義敏は孝景と共同行動をとることを拒み,父祖以来の本拠大野郡で二宮氏と共に抵抗を続けた。しかし,文明7(1475)年土橋城(大野市)を出て朝倉氏の手で京都に送られる。以後子の義良が甲斐・二宮氏らに擁されて越前侵攻を試みたがいずれも失敗し,同15年尾張に下った。『新撰G7EDF玖波集』に連歌7首が入っている。<参考文献>鈴木良一『応仁の乱』

(河村昭一)

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改訂新版 世界大百科事典 「斯波義敏」の意味・わかりやすい解説

斯波義敏 (しばよしとし)
生没年:1435?-1508(永享7?-永正5)

室町後期の武将。斯波持種の子。法名道海。1452年(享徳1)斯波義健の没後,惣領家の家督を継ぎ,越前・尾張・遠江3ヵ国の守護となった。しかしその地位は,重臣甲斐常治らとの対立によって安定せず,加えて幕府の関東派兵要請に応じられなかったため,60年(寛正1)守護職を没収され,周防に下った。61年斯波家の家督を義廉に替わられた。66年(文正1)大内氏の助力によって3ヵ国守護職を回復するが,山名持豊を頼った義廉に再び奪回され,細川勝元を頼ることとなり,応仁・文明の乱の要因になった。乱の過程で衰えた斯波家は二度と興隆しなかったが,81年(文明13)斯波家嫡流の事跡を記した義敏作の《斯波家譜》は,その顕彰碑だったともいえよう。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「斯波義敏」の意味・わかりやすい解説

斯波義敏
しばよしとし
(1435―1508)

室町中期の守護大名。左兵衛督(さひょうえのかみ)。法号道海(どうかい)。斯波持種(もちたね)の実子。1452年(享徳1)斯波義健(よしたけ)が嗣子(しし)なくして没すると、迎えられて養子となり、越前(えちぜん)、尾張(おわり)、遠江(とおとうみ)の三国守護職(しき)を継いだ。しかし重臣甲斐常治(かいつねはる)と対立し、59年(長禄3)古河公方(こがくぼう)足利成氏(あしかがしげうじ)追討を命ぜられると、関東に向かわず常治を越前敦賀(つるが)に攻めて敗れた。この行動は将軍義政(よしまさ)の怒りを買い、三国守護職を罷免され、周防(すおう)に走り大内教弘(のりひろ)に頼ったが、やがて政所執事(まんどころしつじ)伊勢貞親(いせさだちか)の計らいで帰京し、66年(文正1)義政の赦免を受け、家督を継いでいた義廉(よしかど)と争って応仁(おうにん)の乱の一因となった。乱中は東軍に属し越前に下って朝倉孝景(たかかげ)と戦ったが成功しなかった。連歌(れんが)をたしなみ、『新撰菟玖波集(しんせんつくばしゅう)』に7首収められている。永正(えいしょう)5年11月16日没。

[小川 信]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「斯波義敏」の意味・わかりやすい解説

斯波義敏
しばよしとし

[生]永享5(1433)
[没]永正5(1508).11.16.
室町時代中期の越前,尾張,遠江の守護大名。持種の子。左兵衛督,従三位に進んだ。享徳1 (1452) 年9月斯波義健が没したあと,惣領家を継いだ。康正2 (56) 年権臣甲斐常治と争い,長禄2 (58) 年山城東光寺に入った。この紛争は幕府の仲介でいったん収拾されたが,翌年義敏は常治を攻めて幕府の怒りを買い,ついに周防に走り大内教弘を頼った。幕府は,義敏の分国を子の松王丸に与えたが,寛正2 (61) 年これを廃し,渋川義廉に斯波家を継がせたため (→斯波義廉 ) ,斯波家は2分し,義敏は細川勝元を頼って,義廉と争い,応仁の乱の一因となった。法号即源院深叟道海。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「斯波義敏」の解説

斯波義敏
しばよしとし

1435?~1508.11.16

戦国期の武将。斯波庶流大野持種(もちたね)の子。左兵衛佐・左兵衛督。従三位。法名道海。1452年(享徳元)斯波義健(よしたけ)の夭折後,重臣甲斐常治・朝倉孝景らに擁されて武衛家(斯波惣領)の家督を継承,越前・尾張・遠江3国守護となる。その後,常治らと対立。59年(長禄3)古河公方(くぼう)足利成氏追討を命じられると,関東に下らず常治を越前国敦賀城に攻めて敗北。家督は嫡子松王丸(義良(よしすけ)のち義寛),ついで義廉(よしかど)が継いだ。義敏は周防に出奔し,66年(文正元)伊勢貞親を頼って上洛,足利義政に許されるが貞親の失脚で越前にのがれた。応仁・文明の乱では東軍に属し,越前で孝景と戦う。71年(文明3)孝景の東軍帰参後は越前の実権を喪失,のち帰京。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「斯波義敏」の解説

斯波義敏 しば-よしとし

1435-1508 室町-戦国時代の武将。
永享7年生まれ。斯波義健(よしたけ)の没後,一族からむかえられ越前(えちぜん)・尾張(おわり)・遠江(とおとうみ)の守護となる。重臣の甲斐常治(かい-つねはる)と対立し,長禄(ちょうろく)3年(1459)3国の守護を罷免され,周防(すおう)(山口県)の大内氏をたよる。のち斯波氏をついだ斯波義廉(よしかど)と対立,応仁(おうにん)の乱の一因となった。永正(えいしょう)5年11月16日死去。74歳。本姓は大野。

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世界大百科事典(旧版)内の斯波義敏の言及

【応仁・文明の乱】より

…播磨国では,細川方の赤松政則の兵が山名方を追い備前・美作両国に攻め込んでいた。越前,尾張,遠江では斯波義敏方の兵が,同義廉方の兵と争っていたし,若狭国では細川方の武田信賢が一色義直を攻めていた。このように両派の対立は,各地で対立を深めつつ,5月に入ると京都に各地からの軍勢が結集しはじめた。…

【斯波氏】より

…その後,義淳,義郷,義健とつづくが,義健に嗣子がなく一族の持種の子義敏がはいって相続する。ところが義敏(斯波義敏)は守護代甲斐氏をはじめ譜代の重臣層と対立し,ついで傍系の渋川義鏡の子義廉(よしかど)(斯波義廉)が家督を継ぐに至り,斯波氏は2流に分かれ相争うこととなる。義廉,義敏はそれぞれ山名氏,伊勢氏と幕府内の有力者と連携して争ったため,これが応仁・文明の大乱の一因ともなった。…

【斯波義廉】より

…室町中期の武将。生没年未詳。渋川義鏡の子で別名義寛。1452年(享徳1)越前・尾張・遠江3ヵ国守護であった斯波義健の没後に家督を継いだ義敏が,甲斐,朝倉,織田氏らの重臣の支持を失い,60年(寛正1)大内氏を頼って周防に逃れた。翌年に斯波家の家督を継ぎ,3ヵ国守護職となった。義敏が大内氏の力を背景に一時家督を回復すると,義廉はただちに義父山名持豊を頼んで再び家督についた。この家督争いが応仁・文明の乱の一因となった。…

※「斯波義敏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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