デジタル大辞泉
「小野湖山」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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おの‐こざん【小野湖山】
- 幕末・明治初期の陽明学者。漢詩人。梁川星巖、尾藤水竹らに学ぶ。三河吉田藩に仕え安政の大獄に連座。詩集「湖山楼詩鈔」など。文化一一~明治四三年(一八一四‐一九一〇)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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小野湖山 おの-こざん
1814-1910 幕末-明治時代の漢詩人。
文化11年1月12日生まれ。梁川星巌(やながわ-せいがん),藤森弘庵(こうあん)らに師事。三河(愛知県)吉田藩につかえ,安政の大獄で幽閉される。維新後官吏を短期間でやめ,詩人として活躍した。明治43年4月10日死去。97歳。近江(おうみ)(滋賀県)出身。本姓は横山。名は長愿。通称は仙助,侗之助。別号に玉池仙史など。詩集に「湖山楼詩鈔」など。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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世界大百科事典(旧版)内の小野湖山の言及
【漢詩文】より
…【日野 竜夫】
【近代】
明治は漢学愛好の時代であり,漢詩文は江戸期に劣らず隆盛であった。漢詩ではまず小野湖山,岡本黄石,[大沼枕山](ちんざん)らが現れ,陸游,蘇東坡(蘇軾(そしよく)),黄山谷(黄庭堅)らの宋詩を重んじて詩壇を指導した。ついで現れた[森春濤](しゆんとう)・[森槐南](かいなん)父子は婦女子の恋愛の感情を詠んだ香奩(こうれん)体の詩や,袁枚(えんばい),趙翼,張船山(張問陶),王漁洋(王士禎)らの清詩をさかんに鼓吹し,本田種竹らとともに明治詩壇(ことに後期)における清詩の流行をもたらした。…
※「小野湖山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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