少年十字軍(読み)しょうねんじゅうじぐん

改訂新版 世界大百科事典 「少年十字軍」の意味・わかりやすい解説

少年十字軍 (しょうねんじゅうじぐん)

1212年春,ドイツのケルン付近で〈天使から霊感をうけた〉と称する少年ニコラスが数千人の農民や牧夫たちを引き連れ,無装備のまま〈歩いて海を渡る〉計画のもとに,エルサレム解放を目的としてイタリアまで行進した事件,また同じ年の夏フランスのクロア村(シャルトル南方)で〈巡礼姿のキリストに出会い,フランス王あての手紙を託された〉と自称する牧童エティエンヌのまわりに集まった〈3万人の少年少女たち〉が,エルサレム巡礼を目的としマルセイユまで炎暑飢餓に耐えて行進したできごとを総合し,約半世紀後の年代記作者が神助を信じた純真な未成年者のみによる十字軍として語り伝えたもの。ジェノバやマルセイユからさらに地中海に船出した人々は,海難にあったり奴隷商人に売られたりして行方不明になった。フランス王フィリップ2世はパリ大学に諮問したうえ,この計画を禁止し,参加者の多くを家郷に帰らせる処置をとり,教会当局や行進途上の諸都市の住民たちも,彼らの行動を否定的に見て援助をさしひかえた場合が多い。預言者を自任するカリスマ的指導者の2少年が現れたことは疑いないが,追随者となった群衆は未成年者とは限らず,12世紀末以来ライン沿岸,北フランスに大量に発生した無産者階層の成年男女であったとされる。教皇勧説に応じた支配階層の軍事遠征に代わって,貧しい人々の自発的大衆行動が使徒職的な信心わざとして現れた先例である。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「少年十字軍」の意味・わかりやすい解説

少年十字軍
しょうねんじゅうじぐん
Children's Crusade

第3、4回十字軍が失敗あるいは目的逸脱に終わった時代にあたる1212年の春から夏にかけて、ドイツのケルン近傍とフランスのシャトーダン南方の村で、別々に相次いで起こった二つの民衆運動。いずれも予言者的性格の少年、ドイツのニコラスNicolasとフランスのエチエンヌÉtienneが指導者となり、神の加護を確信しつつ聖地エルサレム巡礼と異教徒の改宗を使命とする集団行動を企てた。参加者は未成年者に限らず、農村社会の無産階層や浮浪者など老若男女数千人ないし数万人とみられ、事件の約1世紀後に年代記作者がこれを清貧と純粋な信仰心と「若さ」による十字軍の浄化運動として記述し、「少年」十字軍という伝承が成立した。現実には、地中海を目ざし苦難の旅を重ねた無装備の大衆行進は、聖・俗権力者による中止命令に失望して解散となり、悪徳商人の手で奴隷に売られ、海難にあって水死するなど悲惨な末路をたどった。

[橋口倫介]

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山川 世界史小辞典 改訂新版 「少年十字軍」の解説

少年十字軍(しょうねんじゅうじぐん)
Childrens' Crusade

1212年夏,まずフランスでやや遅れてドイツで発生した,12歳前後の羊飼いの少年を指揮官とする少年少女たちの十字軍。いくつもの集団に分かれた何千何万という少年少女が,聖地をめざした。アルプスを越え,イタリアに入ったものの,多くは死亡ないし脱落した。実際に海に乗り出した子供たちもいたようだが,嵐にあったり,海賊に襲われたり,イスラーム教徒に奴隷として売られたりした。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

旺文社世界史事典 三訂版 「少年十字軍」の解説

少年十字軍
しょうねんじゅうじぐん
Children's Crusade

1212年,第4回と第5回の十字軍の間に,フランスとドイツの少年・少女が企てた十字軍。子ども十字軍ともいう
フランスの子どもは途中で帰国,ドイツの子どもはジェノヴァに到着し,一部は帰国したが,他はマルセイユの商人によって奴隷として売られた。

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