日本大百科全書(ニッポニカ) 「居住規制」の意味・わかりやすい解説
居住規制
きょじゅうきせい
人の一生のある時期においてどこに居住するかは、各社会ごとになんらかの規制が定められている。これを居住規制とよぶが、通常は男女が結婚したのち、どこに世帯を構えるかの規制を示す。基本的には次のように分類することが可能である。
まず、どちらかの配偶者の親族と同居することが期待される場合がある。これには三つの型がある。第一は夫方居住あるいは父方居住とよばれ、結婚後に妻が夫の両親の家、またはその付近に移って生活する場合である。日本の嫁入り婚もこれに入り、世界的にも非常に多くみられる形式である。第二は妻方居住または母方居住とよばれ、夫が妻の住居に移って住む形式である。日本では婿養子をとる場合がこれにあたる。第三はおじ方居住とよばれ、母系制社会にのみみられるもので、母方のおじの家、またはその近くに住む形式である。母系制社会では母方のおじがきわめて強大な権力をもっており、そのためこのような居住形式となる。メラネシアのトロブリアンド島にこの例がある。
以上のように夫・妻どちらかの親族と同居するのではなく、まったく新しい住居を構える場合があるが、これは独立居住あるいは新居住とよばれる。また、これらとは違って、個々の状況に応じて居住地を決定する場合がある。双方の条件によって夫方・妻方いずれをも選択でき、これは選択居住または両居住とよばれる。しかし、結婚後も夫婦が互いの住居を変えない場合がある。これは分離居住とよばれるが、実際には夫が夜間だけ妻の家を訪ねるので訪妻婚(ほうさいこん)ともよばれる。インドのナヤール、スマトラのミナンカバウなどの民族集団の例が知られている。日本でも岐阜県の白川村では明治末期まで、次男以下の息子たちは結婚しても妻といっしょには住まず、夕食後に妻を訪ねて朝に生家に帰ってくるという居住形式をとっていた。これは、次男以下に分け与える土地がなく、また農業の共同作業の必要から男の労働力を分散させないための結果と考えられている。
以上が居住規制の基本的な型であるが、結婚後、時期によってその住居を変える場合がある。この場合、いままでの諸規則を組み合わせることによって多様な形式が可能であるが、現実に存在する居住規制としては次のような型があげられる。まず、結婚後しばらく妻方に住むが、そのあとで夫方へ移る形式があり、妻方・夫方居住とよばれる。アフリカに多くみられ、とくに結婚に際して、花婿が花嫁側に労役を奉仕することが条件になっている社会では、夫婦が初めの数年、妻の家族と同居し、労働を提供することがしばしばある。労役奉仕の任務が完了すると、夫婦は夫の家族と同居することになる。日本でも、東北地方の一部では「年期婿」という慣習が昭和初期まで存在し、婿は結婚後3年から5年、嫁の実家に住み込んで働き、そのあとで夫方に住居を移した。鹿児島県南部の沖永良部(おきのえらぶ)島でも、最初の子が生まれるまでは夫は妻の家で働くという慣習が残っていた。
また、一定期間、夫が夜間だけ妻方へ通い、そのあとで妻が夫方へ住居を移す場合がある。これを訪妻・夫方居住とよぶ。三重県志摩半島、石川県能登(のと)半島、その他の海女(あま)の村では第二次世界大戦前までみられた婚姻居住形態である。これは、女性の労働力が生家にとって重要であったことが原因と考えられる。また、最初の子が生まれるまでなど、一定期間、夫婦が夫の家族と同居し、のちに独立の住居に移る形式が、アメリカのある社会階層に認められる。これは父方・独立居住とよぶことができる。
以上のように多様な居住規制が認められるが、これらと密接に関連をもつと考えられる要素としては、出自体系が母系か父系か、花婿、花嫁が労働力としてどのように評価されるか、花嫁側に対する報酬が結婚成立の要件となっているか、などがあげられる。
[豊田由貴夫]