改訂新版 世界大百科事典 「屈家嶺遺跡」の意味・わかりやすい解説
屈家嶺遺跡 (くっかれいいせき)
Qū jiā lǐng yí zhǐ
中国,湖北省京山県屈家嶺村にある,この地方の代表的な初期新石器時代の遺跡。屈家嶺文化の名はこの遺跡よりおこった。1955-57年に2度の調査が行われ,3文化期に分けられた。最下層は早期文化層で,貯蔵穴,長方形土壙墓のほか,石斧,石(扁平片刃石斧),石鏟(鋤形農具),土製紡錘車,土製環や多数の土器が伴った。土器は黒陶が主で,朱絵黒陶はこの期の特徴である。中層は晩期Ⅰ層で新たに石鎌,磨製石鏃が現れ,早期より小型化した彩絵紡錘車や彩絵環が出現する。上層は晩期Ⅱ層でⅠ層の文化を継承発展させている。石斧の製法は精緻となり,精巧な小型扁平片刃石斧が現れる。晩期の土器は灰陶が主となり,黒陶がこれに次ぎ,彩陶も増加する。厚さ1~2mmの卵殻彩陶碗,同坏,高脚の高坏,高脚の壺は屈家嶺文化に特徴的である。屈家嶺文化は今日では,早,中,晩の3期に区分され,中期が典型的屈家嶺文化で,中,上層はこの期に相当する。生業は水稲耕作が主で,狩猟も行った。また豚と犬の骨や土製羊の出土から,家畜飼養も推定できる。晩期Ⅰ層から出土した多量の粳(うるち)型のコメは同省の石家河,放鷹台出土のコメと同型で,この地方が粳稲の分布地帯であることを明らかにした。屈家嶺文化は漢水中・下流と長江中流が交錯する江漢平原に発達し,湖北省の全域に広がっており,黄河中流文化の仰韶文化と竜山文化の間に位置することが層位的にも確かめられている。典型的屈家嶺文化の実年代は炭素14法の測定によれば前2695±195年である。
執筆者:下條 信行
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