山下清(読み)ヤマシタキヨシ

デジタル大辞泉 「山下清」の意味・読み・例文・類語

やました‐きよし【山下清】

[1922~1971]画家東京の生まれ。児童養護施設の八幡学園で貼り絵を始める。18歳のときに出奔全国放浪。数年後に戻るが、以降は旅をくり返す生活となる。優れた観察力と大胆な色づかいが高く評価され、「日本ゴッホ」と称された。また「裸の大将」の異名でも知られる。

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20世紀日本人名事典 「山下清」の解説

山下 清
ヤマシタ キヨシ

昭和期の画家



生年
大正11(1922)年3月10日

没年
昭和46(1971)年7月12日

出生地
東京市浅草区田中町(現・東京都台東区)

学歴〔年〕
八幡学園(千葉県の知的障害児教育施設)

経歴
新泉小中退後、昭和9年市川市にある知的障害児の施設・八幡学園に移り、ここで貼り絵を習得。その作品が評判となり、式場隆三郎らの世話で世に紹介され、14年青樹社展に出品画壇でも認められる。15年学園を脱走以後学園での絵の制作と放浪生活をくり返す。その旅の印象を綴ったノート、スケッチは11冊に及び、その天衣無縫な生き方は33年「裸の大将」として映画化された。個人画集に「山下清画集」、作品に「お化け」「晩秋」「学園付近の風景」「トンネルのある風景」「長岡花火」「八幡学園」「桜島」などがある。平成6年京都市に裸の大将記念館がオープンした。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山下清」の意味・わかりやすい解説

山下清
やましたきよし

[生]1922.3.10. 東京
[没]1971.7.12. 東京
画家。小学校に入学するも,知的障害のため級友にいじめられ,何度か刃物を振回すなどの行動を起したため,1934年に知的障害者擁護施設,八幡学園に入る。ここで張り絵 (ちぎり絵) を習得し画才を発揮,精神科医師でゴッホ研究家の式場隆三郎らの紹介で 39年に銀座の画廊展覧会を開き,世に認められた。記録的な観覧者数で,会場の床が抜け落ちたというほどの盛況ぶりだった。翌年,徴兵されることを恐れて突然施設を抜け出し,3年の間各地を放浪。この間に記した『放浪日記』が 56年に出版されるが,55年の『山下清画集』の出版と相まって,一種のブームを引起し,全国で展覧会が催された。 58年には山下をモデルにした映画『裸の大将』が制作され,純朴で愛すべきキャラクターが人気を呼び,以後も芦屋雁之助が主演のテレビドラマがシリーズ化された。生涯,学園での絵の制作と,放浪の日々を送った。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山下清」の解説

山下清 やました-きよし

1922-1971 昭和時代の画家。
大正11年3月10日生まれ。養護施設八幡学園ではり絵をまなび才能をしめす。点描風の作品はたかく評価され,昭和14年の展覧会は人気をよんだ。各地を放浪して気ままな制作活動をつづけ,「放浪日記」を刊行。「日本のゴッホ」「裸の大将」とよばれた。昭和46年7月12日死去。49歳。東京出身。画集に「山下清画集」。
【格言など】兵隊の位になおせば(山下流人物評価のものさし)

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367日誕生日大事典 「山下清」の解説

山下 清 (やました きよし)

生年月日:1922年3月10日
昭和時代の画家
1971年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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