山口新田村(読み)やまぐちしんでんむら

日本歴史地名大系 「山口新田村」の解説

山口新田村
やまぐちしんでんむら

[現在地名]茅野市湖東こひがし 山口

東はせりさわ村、西はなか村と境を接し、北境をかみ川が西流している。正保三年(一六四六)の開発で、親村は中村甲州より来た木村氏が草分という(諏訪史)。しかし、開発年代については承応二年(一六五三)妥当といわれている(湖東村史)

上菅沢新田かみすげさわしんでんと同様に中村地籍内に開発されたが、寛文一一年(一六七一)宗門帳によれば「家数六軒内二軒つぶれ家、人口四十一人」という小村であった。

山口新田村
やまぐちしんでんむら

[現在地名]吉川町富岡とみおか

武士山むしやま新田の南、北谷きただに川上流右岸にある。西は熊谷くまだに村。江戸時代前期に開発されたと思われる。元禄郷帳に村名がみえ、高一六石余。村高は幕末まで変わらない。領主変遷野呂谷のろだに新田村と同じ。

山口新田村
やまぐちしんでんむら

[現在地名]木島平村大字上木島かみきじま

本村はもとたる川に沿った字木島にあって田中新田たなかしんでんと称していた。承応年間(一六五二―五五)年貢割付には高六七石一斗二升三合とみえ、寛文七年(一六六七)九月検地が行われ、村高は八六石三斗四升九合となっている。続いて翌年十月、田中新田之内山口立新田田畑検地帳が作成れている。

山口新田村
やまぐちしんでんむら

[現在地名]潟東村山口新田

水沢みずさわ新田村の東に連なり、熊谷くまがい村の西に接する。小林惣左衛門の開発で、かつて熊谷村一村であったという。慶安二年(一六四九)長岡藩総検地の際分立したとされる。元禄郷帳は熊谷村枝郷とし四三四石二斗余。御封印野ごふういんのの開発に加わり、明和二年(一七六五)の石瀬代官所村々高辻帳(北条一也氏蔵)によれば四ヶ村組に属し、高六七二石三斗余のうち四四三石八斗余は本途、二二八石八斗余は同新田分の高である。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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