改訂新版 世界大百科事典 「山崎楽堂」の意味・わかりやすい解説
山崎楽堂 (やまざきがくどう)
生没年:1885-1944(明治18-昭和19)
能楽研究・評論家,建築家。本名,静太郎。和歌山県生れ。山崎家は紀州藩の家で,父九一郎は大蔵流の名家松井氏に狂言を学び,楽堂も幼時から能・狂言に親しんだ。1909年東京帝国大学建築学科を卒業。千葉高等園芸学校講師,法政大学教授,東京音楽学校講師などを歴任。喜多流の謡をたしなみ,川崎九淵について葛野流(かどのりゆう)大鼓を学んだ。研究家としては囃子に精通し,地拍子の理論を確立し,鼓の胴に造詣(ぞうけい)が深かった。評論家として《時事新報》《朝日新聞》ほか諸雑誌に能評・時評を執筆,池内(いけのうち)信嘉,坂元雪鳥と並び称された。また建築家としては梅若能舞台,細川家能舞台(ともに第2次世界大戦で焼失),松平家能舞台(旧染井能舞台)の設計に従事した。主著に,《地拍子精義》(1915),《鼓胴之鑑定》(生田耕一と共著。1917)がある。また高浜虚子門下の俳人でもあった。
執筆者:羽田 昶
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報