山彦河良(読み)やまびこかりょう

改訂新版 世界大百科事典 「山彦河良」の意味・わかりやすい解説

山彦河良 (やまびこかりょう)

河東節三味線方。6世まである。初世と6世が有名。(1)初世 生没年不詳。初世山彦源四郎門人初名良波。1758年(宝暦8)以降4世十寸見河東(ますみかとう)の三味線を弾く。61年の《助六由縁(ゆかりの)江戸桜》では4世河東と市村座に出演。今日まで残る《助六》はこの人の作曲。64年(明和1)以後消息不詳。(2)2世 生没年不詳。初世源四郎の門人。初名2世良波。1774年(安永3)から1782年(天明2)まで活動。(3)3世(?-1814(文化11)) 2世の門人。初名3世良波。1787年(天明7)河良をつぐ。(4)4世(?-1833(天保4)) 3世の門人。初名青巴。1807年(文化4)4世良波。16年河良をつぐ。隠居して紫存といい,晩年山彦検校と名のる。(5)5世 生没年不詳。4世の門人。初名良鶴。1837年(天保8)河良をつぐ。59年(安政6)9月家出して消息不明。(6)6世(1915-80・大正4-昭和55) 本名飯箸ふみ。前名山彦ふみ子。1958年河良をつぐ。71年河東節十寸見会2代目技芸総代。戦後の河東節三味線の第一人者で,作曲作品に《山姥(やまんば)》などがある。
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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山彦河良」の解説

山彦 河良(6代目)
ヤマビコ カリョウ


職業
河東節三味線方

肩書
十寸見会技芸総代(2代目)

本名
飯箸 ふみ子

別名
前名=山彦 ふみ子

生年月日
大正4年 1月8日

経歴
初め常磐津節を学んだが、のち山彦ふさ子に入門し、山彦ふみ子を名乗る。河東節のほか、宮薗節荻江節なども学ぶ。昭和33年十寸見会(ますみかい)に推されて6代目河良を襲名。46年十寸見会2代目技芸総代となった。作曲に「山姥」「奥の細道」など。

受賞
芸術選奨文部大臣賞〔昭和42年〕

没年月日
昭和55年 11月29日 (1980年)

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20世紀日本人名事典 「山彦河良」の解説

山彦 河良(6代目)
ヤマビコ カリョウ

昭和期の河東節三味線方 十寸見会技芸総代(2代目)。



生年
大正4(1915)年1月8日

没年
昭和55(1980)年11月29日

本名
飯箸 ふみ子

別名
前名=山彦 ふみ子

主な受賞名〔年〕
芸術選奨文部大臣賞〔昭和42年〕

経歴
初め常磐津節を学んだが、のち山彦ふさ子に入門し、山彦ふみ子を名のる。河東節のほか、宮薗節、荻江節なども学ぶ。昭和33年十寸見会(ますみかい)に推されて6代目河良を襲名。46年十寸見会2代目技芸総代となった。作曲に「山姥」「奥の細道」など。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山彦河良」の意味・わかりやすい解説

山彦河良(6世)
やまびこかりょう[ろくせい]

[生]1915.1.8.
[没]1980.11.29.
河東節三味線方。女流。常磐津節から入って河東節以外にも宮薗節,荻江節を学ぶ。 1958年6世を襲名。その広い知識に裏づけられた豪華で華麗な三味線は多くの愛好者を得,河東節に大きな力を与えた。 67年芸術選奨文部大臣賞受賞。作曲も行い,作品に『山姥』『奥の細道』などがある。

山彦河良(1世)
やまびこかりょう[いっせい]

河東節三味線方。1世山彦源四郎の門人で,師を継いで河東節の創始者十寸見 (ますみ) 河東の三味線を弾いた。寛保2 (1742) 年頃河良を名のる。河東節の代表作『助六』の作曲者。

山彦河良(4世)
やまびこかりょう[よんせい]

[生]?
[没]天保4(1833).11.23.
河東節三味線方。『白膠木 (ぬるで) 』の作曲者として知られ,文化 13 (1816) 年頃4世を襲名。のちに1世山彦紫存となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山彦河良」の解説

山彦河良(6代) やまびこ-かりょう

1915-1980 昭和時代の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
大正4年1月8日生まれ。河東(かとう)節。山彦ふさ子(3代宮薗千之)にまなび,昭和33年6代を襲名。十寸見(ますみ)会2代目技芸総代。力づよい演奏ぶりで知られた。昭和55年11月29日死去。65歳。本名は飯箸ふみ。前名は山彦ふみ子。作品に「山姥(やまんば)」など。

山彦河良(4代) やまびこ-かりょう

?-1834* 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
河東(かとう)節。3代の門弟。師没後の文化13年ごろ4代をつぐ。のち紫存(初代)とあらため,晩年は山彦検校(けんぎょう)寿喜一を名のった。天保(てんぽう)4年11月23日死去。初名は山彦青巴(波)。前名は山彦良波(4代)。

山彦河良(5代) やまびこ-かりょう

?-? 江戸時代後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
河東(かとう)節。4代の門弟。師の没後5代をつぎ,十寸見(ますみ)可慶(9代河東)らの立三味線をつとめる。安政6年(1859)9月8日家出して行方不明。初名は山彦良鶴。前名は山彦良波(5代)。

山彦河良(初代) やまびこ-かりょう

?-1779 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
河東(かとう)節。初代山彦源四郎の高弟。宝暦11年4代十寸見(ますみ)河東の立三味線として「助六所縁(ゆかりの)江戸桜」を作曲した。安永8年9月10日死去。前名は山彦良波(初代)。

山彦河良(2代) やまびこ-かりょう

?-1788 江戸時代中期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
河東(かとう)節。初代の門弟。師の没後2代をつぎ,2代山彦源四郎のワキをつとめた。天明8年5月20日死去。前名は山彦良波(2代)。作品に「筆始四季探題」。

山彦河良(3代) やまびこ-かりょう

?-1814 江戸時代中期-後期の浄瑠璃(じょうるり)三味線方。
河東(かとう)節。2代の門弟。3代山彦源四郎のワキをつとめた。文化11年10月29日死去。前名は山彦良波(3代)。

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朝日日本歴史人物事典 「山彦河良」の解説

山彦河良(初代)

生年:生没年不詳
江戸中期の河東節の三味線方。初代山彦源四郎の門人で,前名は山彦良波。寛保2(1742)年ごろから河良を名乗る。初代源四郎の没後,4代目十寸見河東の三味線方となり活躍。特に宝暦11(1761)年江戸市村座初演の「助六所縁江戸桜」は,4代目河東が太夫を,河良が三味線を勤めた。これは歌舞伎十八番のひとつとして現在でも上演される,河東節の代表曲。

(吉野雪子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山彦河良の言及

【熊野】より

西沢一鳳の《皇都午睡》に,著者が山田検校のこの曲の演奏を聞きたがったことが記されている。(3)河東節 9世十寸見河東および5世山彦河良作曲。1849年(嘉永2)初演。…

※「山彦河良」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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