山田五十鈴(読み)ヤマダイスズ

デジタル大辞泉 「山田五十鈴」の意味・読み・例文・類語

やまだ‐いすず【山田五十鈴】

[1917~2012]女優。大阪の生まれ。本名美津みつ溝口健二監督の映画「浪華悲歌なにわエレジー」「祇園ぎおん姉妹きょうだい」に主演して地位を確立。「ベルさん」の愛称で親しまれ、後年テレビドラマや舞台でも活躍した。平成12年(2000)文化勲章受章。出演作「流れる」「蜘蛛巣城くものすじょう」「東京暮色」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「山田五十鈴」の意味・わかりやすい解説

山田五十鈴
やまだいすず
(1917―2012)

女優。本名山田美津。大阪市生まれ。父は新派俳優山田九州男(くすお)。幼時より芸事を習う。1930年(昭和5)日活へ入社、『剣(つるぎ)を越えて』でデビュー。品のある可憐(かれん)な容貌(ようぼう)が認められ、以後仇討(あだうち)選手』『国士無双』などの片岡千恵蔵(ちえぞう)プロ作品を経て、1934年第一映画社に転じ、溝口健二監督の名作『浪華悲歌(なにわエレジー)』と『祇園(ぎおん)の姉妹』(ともに1936)で演技派女優の地位を固めた。以後、新興映画、東宝と転じて多くの映画に出演。第二次世界大戦後はフリーとなって、独立プロをはじめ各社で活躍するかたわら、劇団民芸に参加して演技術を学ぶなどの意欲をみせた。映画の代表作に『鶴八(つるはち)鶴次郎』(1938)、『婦系図(おんなけいず)』(1942)、『女優』(1947)、『現代人』(1952)、『女一人大地を行く』(1953)、『猫と庄造(しょうぞう)と二人のをんな』(1956)、『蜘蛛巣城(くものすじょう)』(1957)など。1962年(昭和37)以後は舞台へ転じ、『香華(こうげ)』『淀(よど)どの日記』など商業演劇の一枚看板役者として人気を保ち、1974年の『たぬき』と1983年の新派参加『太夫(こったい)さん』で二度の芸術祭大賞を受賞テレビにも草創期から積極的に出演している。1993年(平成5)文化功労者。2000年文化勲章受章。

[長崎 一]

『津田類編『聞き書 女優山田五十鈴』(1997・平凡社)』

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百科事典マイペディア 「山田五十鈴」の意味・わかりやすい解説

山田五十鈴【やまだいすず】

映画女優。本名山田美津。大阪生れ。無声映画時代から娘役で活躍。溝口健二の《祇園の姉妹》(1936年)ですぐれた演技を示し第一線女優となり,昭和から平成の大女優として活躍した。成瀬巳喜男の《鶴八鶴次郎》(1938年)等での長谷川一夫とのコンビも知られる。代表作に《流れる》(成瀬巳喜男監督,1956年),《蜘蛛巣城》(黒澤明監督,1957年)など。映画のほか,演劇・テレビにも出演。ブルーリボン賞(主演・助演とも),キネマ旬報女優賞をはじめ,舞台でも芸術祭大賞を2度受賞するなど数々の受賞に輝いた。文化功労者(1993年),文化勲章受章(2000年)。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山田五十鈴」の意味・わかりやすい解説

山田五十鈴
やまだいすず

[生]1917.2.5. 大阪
[没]2012.7.9. 東京
映画女優。本名山田美津。1930年日本活動写真(日活)入社,『剣を越えて』でデビュー,娘役で人気を得た。1934年に第一映画に移り,溝口健二監督の『浪華悲歌』(1936),『祇園の姉妹』(1936)で好演,第一線の映画女優として認められた。新興キネマ,東宝映画(→東宝)を経て,第2次世界大戦後は映画会社に所属せず,1960年代以降は舞台を中心に活躍,『たぬき』で 1974年度芸術祭賞大賞を受けた。日本放送協会 NHKの大河ドラマ『赤穂浪士』,「必殺シリーズ」などテレビでも活躍した。ほかに,映画『現代人』(1952),『猫と庄造と二人のをんな』(1956),『蜘蛛巣城』(1957年度芸術選奨文部大臣賞),舞台『香華』『太夫さん』(1983年度芸術祭賞大賞)など。1993年に文化功労者に選ばれ,2000年には女優として初めて文化勲章を受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山田五十鈴」の解説

山田五十鈴 やまだ-いすず

1917-2012 昭和-平成時代の女優。
大正6年2月5日生まれ。新派俳優の山田九州男(くすお)の娘。昭和5年「剣を越えて」で映画デビュー。「浪華悲歌(なにわエレジー)」「祇園(ぎおん)の姉妹」で人気をえて「鶴八鶴次郎」などで長谷川一夫と共演,スターの座についた。戦後も映画「猫と庄造と二人のをんな」などに出演。38年以降舞台に主力をおき,「丼池(どぶいけ)」「淀どの日記」「たぬき」などで声価をたかめる。平成12年文化勲章。平成24年7月9日死去。95歳。大阪出身。本名は美津。

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知恵蔵mini 「山田五十鈴」の解説

山田五十鈴

女優。本名・山田美津。1917年2月5日生まれ、大阪府出身。父は新派俳優の山田九州男。30年に日活に入社し、映画「剣を越えて」でデビュー。その後、第一映画へ移り、36年に「浪華悲歌」「祇園の姉妹」に出演してトップ女優となる。以後、新興映画、東宝と転じ、「流れる」「蜘蛛巣城」「東京暮色」などで日本映画史に残る名演を見せた。62年からは東宝演劇部と専属契約を結び、舞台女優としても活躍。テレビにも積極的に出演し、代表作に「必殺」シリーズがある。75年に文化庁芸術祭大賞、84年に芸術選奨文部大臣賞、93年に文化功労者表彰、00年に女優として初の文化勲章を受章。12年7月9日、多臓器不全により95歳で死去した。

(2012-07-12)

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世界大百科事典(旧版)内の山田五十鈴の言及

【溝口健二】より

…その後は,ドイツ表現主義映画を模倣した《夜》《血と霊》(ともに1923),左翼イデオロギーを盛った〈傾向映画〉の流行にのった《都会交響楽》(1929),《しかも彼等は行く》(1931),テナー歌手・藤原義江を主演にしたトーキー試作(日活ミナトーキー第1回作品であった)《ふるさと》(1930),また溝口の〈芸道三部作〉とよばれる《残菊物語》(1939),《浪花女》(1940),《芸道一代男》(1941),あるいはまた晩年に挑戦したカラー作品《楊貴妃》《新・平家物語》(ともに1955)等々の意欲作を作るが,これらの間に数多く作られた〈下町情緒とフェミニズム〉(滝沢一評)に貫かれた一連の〈女性映画〉こそが,溝口作品の世界をきわだたせることになる。 初期の田中栄三脚本,梅村蓉子主演の《紙人形春の囁き》と川口松太郎脚本,酒井米子主演の《狂恋の女師匠》(ともに1926)のあと,溝口作品のヒロインを演じて,その〈女性映画〉のイメージを作り上げた女優たちをあげれば,《滝の白糸》(1933)の入江たか子,《浪華悲歌(なにわえれじい)》《祇園の姉妹》(ともに1936)の山田五十鈴(1917‐ ),《浪花女》から《夜の女たち》(1948),《お遊さま》(1951),《西鶴一代女》(1952),《雨月物語》(1953)等々をへて《山椒太夫》《噂の女》(ともに1954)に至る円熟期の溝口作品の田中絹代,《雪夫人絵図》(1950),《祇園囃子》(1953)の木暮実千代,それに若尾文子(《祇園囃子》,《赤線地帯》1956),京マチ子(《楊貴妃》1955,《赤線地帯》)らがいる。《西鶴一代女》《雨月物語》《山椒太夫》がいずれもベネチア映画祭で受賞して世界の注目を浴び,フランスの〈ヌーベル・バーグ〉の監督たち(ゴダール,トリュフォー,ジャック・リベット等々)からはとくに信奉された。…

※「山田五十鈴」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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