日本映画。1936年(昭和11)作品。溝口健二(みぞぐちけんじ)監督。溝口のトーキー初期の代表作。溝口は関東大震災以降、関西に移住し、その風土を生かした作品を構想していた。日活から離れた映画プロデューサーの永田雅一(ながたまさいち)(1906―1985)が設立した独立プロダクション、第一映画で製作のチャンスが到来し、大阪を舞台に転落していく若い女性を描いた本作と、京都を舞台に芸者の姉妹を描いた『祇園(ぎおん)の姉妹(きょうだい)』(1936)の2本を、山田五十鈴(やまだいすず)の主演で映画化する。溝口とのコンビで名をはせた依田義賢(よだよしかた)のシナリオによるこの2本は、男女間の抗争のドラマをフェミニズム的な視点から描くという、溝口の年来のコンセプトが生かされており、また、関西の風土に根ざす特有のキャラクターを綿密に描き出して独自性を発揮している。一場面で一つの挿話を描くワンシーン・ワンショット(長回し)の手法を駆使し、ローキートーン(暗い画調)も確かなものとなった。日本映画は、1930年代中ごろにトーキーによるリアリズムの時代を迎え、小津安二郎(おづやすじろう)監督の『一人息子』(1936)とともに、本作もリアリズムの代表作と評価された。山田はこの作品で演技に開眼し、有力な女優として成長していく。
[千葉伸夫]