岡崎嘉平太(読み)オカザキ カヘイタ

20世紀日本人名事典 「岡崎嘉平太」の解説

岡崎 嘉平太
オカザキ カヘイタ

昭和期の実業家 元・全日本空輸社長;ジャパックス相談役;日中経済協会常任顧問。



生年
明治30(1897)年4月16日

没年
平成1(1989)年9月22日

出生地
岡山県上房郡賀陽町

学歴〔年〕
東京帝国大学法学部政治学科〔大正11年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和53年〕

経歴
日本銀行に入り、ベルリン駐在、外国為替局次長を経て、昭和14年上海の華興商業銀行に転じ、理事などを歴任終戦時は在上海大使館参事官として日本人の引き揚げに尽力戦後、池貝鉄工、丸善石油の経営再建に協力、再建経営者としての手腕を発揮。日本ヘリコプター(全日空前身)の設立に加わり、36年全日空社長に就任したが、相次ぐ全日空機事故の責任をとって42年辞任、相談役に。62年1月ジャパックス社長となり、20年振りに経営の第一線に復帰、平成元年まで務めた。この間、日中綜合貿易連絡協議会会長日中覚書貿易事務所代表などを務め、戦後一貫して日中経済交流拡大に尽力した。訪中歴は100回を超える。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「岡崎嘉平太」の意味・わかりやすい解説

岡崎嘉平太【おかざきかへいた】

実業家。岡山県出身。日本銀行を経て1939年上海の華興商業銀行に移り,終戦まで中国に滞在。戦後は池貝鉄工,丸善石油の再建にあたり,1952年日本ヘリコプター輸送(のちの全日本空輸副社長に就任。1961年全日空社長となるが連続墜落事故で1967年辞任。一貫して日中交流に尽力,周恩来の厚い信頼を得て訪中は100回を超えた。1954年日本国際貿易促進協会常任委員に就任,1962年LT貿易協定締結実現,1964年日中総合貿易連絡協議会(のちの日中覚書貿易事務所)会長に就任。日中覚書貿易交渉に携わり,1972年の日中国交回復に多大な貢献をした。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「岡崎嘉平太」の意味・わかりやすい解説

岡崎嘉平太
おかざきかへいた
(1897―1989)

実業家。岡山県生まれ。1922年(大正11)東京帝国大学法学部を卒業し、日本銀行に入行。29年(昭和4)ドイツに派遣され、39年上海(シャンハイ)華興(かこう)商業銀行の理事、大東亜省参事官となる。終戦時には上海大使館参事官として大陸の日本人引揚げに尽力した。54年日本国際貿易促進協会の常任委員に就任。62年高碕(たかさき)達之助とともに訪中してLT貿易協定を結び、68年日中覚書貿易(MT)事務所代表として、日中国交正常化に大きな役割を果たす。その後も日中経済協会常任顧問として経済関係拡充に尽力した。実業家としては、戦後の混乱期に経営危機に陥った池貝鉄工、丸善石油を建て直し、52年日本ヘリコプター副社長、62年全日本空輸(全日空)社長となる。66年羽田沖、67年松山沖墜落事故の責任をとり、67年辞任。89年9月22日没。

[編集部]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「岡崎嘉平太」の意味・わかりやすい解説

岡崎嘉平太
おかざきかへいた

[生]1897.4.16. 岡山
[没]1989.9.22. 東京
経営者。 1922年東京大学を卒業,日本銀行に入る。 39年上海の華興商業銀行理事,大東亜省参事官。 45年敗戦処理で国民党政府湯恩伯将軍と交渉。引揚げ帰国後,池貝鉄工,丸善石油の再建で評価され,全日空の副社長,61年社長となる。 62年高碕達之助経済訪中団に同行以来,日中友好に専念した。高碕の死後,日中民間総合貿易の中心人物となった。 67年全日空社長を退くが,その後も全日空に隠然たる影響力をもった。 78年勲一等瑞宝章受章。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「岡崎嘉平太」の解説

岡崎嘉平太 おかざき-かへいた

1897-1989 昭和時代の実業家。
明治30年4月16日生まれ。日銀をへて,昭和14年上海華興商業銀行理事,18年上海大使館参事官となる。戦後は日中国交正常化,日中貿易推進に尽力し,高碕達之助らと訪中してLT貿易協定をむすんだ。訪中をかさね,周恩来首相と親交があった。36-42年全日空社長。平成元年9月22日死去。92歳。岡山県出身。東京帝大卒。著作に「終りなき日中の旅」。

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367日誕生日大事典 「岡崎嘉平太」の解説

岡崎 嘉平太 (おかざき かへいた)

生年月日:1897年4月16日
昭和時代の実業家。全日本空輸社長
1989年没

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