大東亜省(読み)だいとうあしょう

改訂新版 世界大百科事典 「大東亜省」の意味・わかりやすい解説

大東亜省 (だいとうあしょう)

太平洋戦争中いわゆる大東亜共栄圏内の諸国ならびに諸地域に対する政務の施行を担当するため,1942年11月に設けられた省。拓務省対満事務局興亜院外務省の東亜,南洋両局はこれに吸収され,同省は総務局,満州事務局,支那事務局,南方事務局をもって構成された。日本の占領地域ならびに勢力範囲に対する政治,経済,文化などの政務の施行を一元化すること,とりわけ中国における出先機関の一元化を目的とした。このため外務省の権限は弱体化した。同省設置軍部発案で,外務省から当該地域関係の外交権限を実質上奪うものであったから,東郷茂徳外相は同地域内の諸国を属領視するものとして同省設置に強硬に反対し,東条英機内閣下最大の政治問題となった。結局東郷外相が辞任し,初代大東亜相には汪政権顧問の青木一男が任命された。陸軍は軍司令官を大使とすることを主張したが,海軍の反対で文官をまじえることとなった。しかし,同省設置後,戦況の逆転により対華新政策,大東亜新政策がとられて政略が重視されたため,当初の企図は必ずしも実現しなかった。その反面,占領地域内では現地軍の政治指導が強力に行われ,大東亜省による政策の一元化も容易に達成されなかった。45年8月,敗戦により廃止された。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大東亜省」の意味・わかりやすい解説

大東亜省
だいとうあしょう

太平洋戦争による占領地域の拡大に伴い、「大東亜諸地域」の総力を戦争に動員することを目的に、1942年(昭和17)11月1日東条英機(とうじょうひでき)内閣のもとで設置された行政機関。拓務省の対満事務局、興亜院、興亜院連絡部、外務省の東亜局・南洋局などを廃止、統合して創設され、満州・中国、東南アジア占領地における一元的行政を目ざした。部局には大臣官房のほか、総務局、満州事務局、支那(しな)事務局、南方事務局の四局が置かれ、南方事務局の管轄には、タイ、インドシナも含まれた。「大東亜共栄圏」内における大公使館などの現地機関は大東亜省直轄官庁となった。所属官署に興亜錬成所、興亜錬成院があり、関係各官庁間の連絡機関として大東亜省連絡委員会が置かれた。東郷茂徳(とうごうしげのり)外相は、外務省の権限が縮小されることもあり、その新設に反対して辞任したが、軍の圧力で設置が強行された。青木一男が初代大東亜相となる。45年8月25日、東久邇稔彦(ひがしくになるひこ)内閣のときに廃止された。

[小林英夫]

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百科事典マイペディア 「大東亜省」の意味・わかりやすい解説

大東亜省【だいとうあしょう】

1942年いわゆる大東亜共栄圏内の諸国と諸地域に対する政務施行の一元化のため軍部の発案で設置された省。大東亜省の設置は該当地域内の外交権限を事実上奪うものであるとして当時の東郷茂徳外相は設置に強硬に反対したが,結局押切られ外相を辞任した。拓務省,対満事務局,興亜院,外務省の東亜・南洋両局を吸収。総務局・支那事務局・満州事務局・南方事務局で構成された。1945年廃止。
→関連項目外務省東条英機内閣

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大東亜省」の意味・わかりやすい解説

大東亜省
だいとうあしょう

第2次世界大戦中の 1942年 11月,いわゆる大東亜共栄圏内の「純外交ヲ除ク」政務にあたるために設置された省。内地,朝鮮,台湾,樺太を除く地における,日本の権益の保護,在留日本人に関する事務,移民,文化事業などを管理した。この年の戦況はシンガポールの陥落をはじめとしてジャワ,スマトラ,ボルネオ,ビルマ,フィリピンの攻略に及び,いわゆる大東亜地域に占領地軍政がしかれることになったが,これに対応して設けられた。大東亜省官制にうたわれた「純外交」は儀礼的なもののみを意味し,外務省は大東亜共栄圏外のみの外交にあたることになることから強く反対し,42年9月に設置が決定すると,東郷茂徳外相は抗議して辞職した。これは大東亜省設置問題として知られる。大東亜省設置によって対満事務局,興亜院拓務省が廃止され吸収されるとともに,関東局,南洋庁の事務を総括した。敗戦によって廃止された。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「大東亜省」の解説

大東亜省
だいとうあしょう

太平洋戦争下に「大東亜」地域の政務の執行にあたった中央官庁。1942年(昭和17)11月1日設置。大東亜建設のため同地域の政務を一元的に統轄する機関の設立を,企画院・陸海軍両省・興亜院が提起し,東条英機首相が設置決定を強行した。外務省は権限削減となることから反発し,東郷茂徳(しげのり)外相は辞任した。この設置により拓務省・興亜院・対満事務局が廃止統合され,外務省の一部も吸収された。敗戦で45年8月26日廃止。

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世界大百科事典(旧版)内の大東亜省の言及

【外務省】より

…34年6月,亜細亜局が東亜局と改称され,欧米局が欧亜,亜米利加の2局に分離した。40年11月に南洋局が新設されたが,42年11月,東亜局とともに大東亜省へ移管された。同時に,欧亜局と亜米利加局が合体して政務局となり,また33年12月設置の調査部がこのときに調査局に昇格したので,当時の機構は政務,通商,条約,調査の4局であった。…

※「大東亜省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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