高碕達之助(読み)タカサキタツノスケ

デジタル大辞泉 「高碕達之助」の意味・読み・例文・類語

たかさき‐たつのすけ【高碕達之助】

[1885~1964]政治家実業家。大阪の生まれ。大正6年(1917)東洋製缶を設立。昭和17年(1942)満州重工業総裁に就任し、戦後は在満日本人の引き揚げに尽力した。昭和30年(1955)衆議院議員に初当選の後は、経済企画庁長官通商産業大臣などを歴任。日ソ漁業交渉や日中国交正常化交渉など、外交の舞台で活躍した。

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改訂新版 世界大百科事典 「高碕達之助」の意味・わかりやすい解説

高碕達之助 (たかさきたつのすけ)
生没年:1885-1964(明治18-昭和39)

実業家,政治家。大阪府高槻の農家に生まれる。中学校の教師に水産の重要性を教えられ農商務省水産講習所製造科に入学,1906年卒業後,東洋水産会社技師長となる。12年メキシコに渡り缶詰工場建設を指導,のちアメリカへ移り製缶技術を学んで帰国。17年東洋製缶会社を創立支配人となり,以後20余年製缶事業にうちこむ。41年鮎川義介に招かれ満州重工業開発会社副総裁に就任,翌年鮎川の後を受け総裁となる。終戦時は在満日本人会会長として日本人の引揚げに尽力,47年帰国。公職追放を受けるが,52年電源開発会社初代総裁に就任,佐久間ダム建設に際しては,みずから渡米,先進ダム技術を学んでこれに生かした。54年同総裁を辞し,第1次鳩山一郎内閣経済審議庁長官に就任。翌年民主党から衆議院議員に当選(以後連続4回当選),第3次鳩山内閣経済企画庁長官,第2次岸信介内閣通商産業大臣を歴任。この間,ことに外交で活躍,アジア・アフリカ会議(バンドン会議,1955),コロンボ計画の会議(1955,56)の政府代表,日比賠償協定交渉の首席全権委員のほか,日ソ漁業交渉においても再三政府代表を務めた。また62年経済使節団長として訪中,廖承志との間で〈日中総合貿易に関する覚書〉に調印した。期間5年のこの第1次協定は両名の頭文字をとって〈LT貿易〉(〈日中貿易〉の項参照)と呼ばれ,その後の日中国交改善に大きく貢献した。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「高碕達之助」の意味・わかりやすい解説

高碕達之助
たかさきたつのすけ
(1885―1964)

実業家、政治家。大阪府生まれ。水産講習所卒業。1917年(大正6)東洋製缶を設立。1942年(昭和17)満州重工業総裁。1952年電源開発初代総裁。1954年鳩山一郎(はとやまいちろう)内閣経済企画庁長官。1958年第二次岸信介(きしのぶすけ)内閣通産相。1955年衆議院議員(民主党)、以後連続4回当選。同年アジア・アフリカ会議に政府代表として出席したほか、日ソ漁業交渉など経済外交で活躍。1962年11月の日中総合貿易協定で、中国側の廖承志(りょうしょうし)とともに調印にあたった。そのため、この時期の日中貿易は廖と高碕のイニシャルをとり、LT貿易とよばれた。

[荒 敬]

『刊行会編『高碕達之助集』全2巻(1965・東洋製缶)』『『私の履歴書 経済人1』(2004・日本経済新聞社)』

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「高碕達之助」の解説

高碕 達之助
タカサキ タツノスケ


肩書
衆院議員(自民党),通産相,大日本水産会会長,電源開発初代総裁

生年月日
明治18年2月7日

出生地
大阪府高槻市

学歴
水産講習所製造科〔明治39年〕卒

経歴
明治39年東洋水産の技師となり、44年渡米して製缶技術を学ぶ。大正6年東洋製缶を設立、10年専務取締役社長。昭和9年東洋銅板を設立し社長。17年国策企業の満州重工業総裁に就任。戦後、満州で日本人会会長となり、抑留邦人の引揚げに尽した。22年帰国。公職追放となるが解除されると27年電源開発総裁、東洋製缶会長などを歴任。29年第1次鳩山内閣の経済審議庁長官となり、翌30年民主党から衆院議員に当選、以来連続当選4回。第2次・第3次鳩山内閣でも経済企画庁長官留任、33年第2次岸内閣の通産相に就任。その後、日ソ漁業交渉や、日中民間貿易でも大きな役割を果たした。また、ライオンやワニなど、猛獣の飼育でも知られた。

趣味
猛獣の飼育

没年月日
昭和39年2月24日

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20世紀日本人名事典 「高碕達之助」の解説

高碕 達之助
タカサキ タツノスケ

大正・昭和期の政治家,実業家 衆院議員(自民党);通産相;大日本水産会会長;電源開発初代総裁。



生年
明治18(1885)年2月7日

没年
昭和39(1964)年2月24日

出生地
大阪府高槻市

学歴〔年〕
水産講習所製造科〔明治39年〕卒

経歴
明治39年東洋水産の技師となり、44年渡米して製缶技術を学ぶ。大正6年東洋製缶を設立、10年専務取締役社長。昭和9年東洋銅板を設立し社長。17年国策企業の満州重工業総裁に就任。戦後、満州で日本人会会長となり、抑留邦人の引揚げに尽した。22年帰国。公職追放となるが解除されると27年電源開発総裁、東洋製缶会長などを歴任。29年第1次鳩山内閣の経済審議庁長官となり、翌30年民主党から衆院議員に当選、以来連続当選4回。第2次・第3次鳩山内閣でも経済企画庁長官留任、33年第2次岸内閣の通産相に就任。その後、日ソ漁業交渉や、日中民間貿易でも大きな役割を果たした。

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百科事典マイペディア 「高碕達之助」の意味・わかりやすい解説

高碕達之助【たかさきたつのすけ】

実業家,政治家。大阪府出身。水産講習所卒。アメリカで製缶技術を学び1917年東洋製缶会社を創設。1941年満州重工業開発会社副総裁,翌年総裁就任。戦後は公職追放となるが1952年電源開発会社総裁に就任,佐久間ダムを建設。1954年第1次鳩山内閣経済審議庁長官,翌年民主党から衆議院議員当選,第3鳩山内閣経済企画庁長官,第2次岸内閣通商産業大臣などを歴任。日露漁業交渉に携わり,周恩来の信頼厚く1962年〈日中総合貿易に関する覚書〉に調印。中国側の廖承志と高碕の頭文字をとってLT貿易とよばれる。→日中覚書貿易

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「高碕達之助」の意味・わかりやすい解説

高碕達之助
たかさきたつのすけ

[生]1885.2.7. 大阪
[没]1964.2.24. 東京
経営者,政治家。水産講習所を出てアメリカで製缶技術を学ぶ。 1917年東洋製缶を創設した。 41年鮎川義介に誘われ満州重工業副総裁,43年同総裁となり終戦。 47年帰国。 52年電源開発初代総裁に就任。 54年鳩山内閣の経済審議庁長官となる。 55年衆議院議員に当選,岸内閣で通産相。国際的視野が広く経済外交で多彩な活躍をみせた。晩年日中関係に関心を深め,62年,廖承志 (りょうしょうし) と「日中総合貿易覚書」に調印,いわゆるLT貿易協定を結び,日中国交回復までの貴重な窓口を開いた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「高碕達之助」の解説

高碕達之助
たかさきたつのすけ

1885.2.7~1964.2.24

昭和期の実業家・政治家。大阪府出身。農商務省水産講習所卒。東洋製缶を創立。1941年(昭和16)満州重工業副総裁となり,のち総裁。第2次大戦の敗戦時には在満日本人の引揚げに努め,中国の産業復興にも協力。52年電源開発株式会社初代総裁として佐久間ダム建設にあたり,鳩山内閣では経済審議庁(のち経済企画庁)長官を務めた。この間に衆議院議員となり,第2次岸内閣でも通産相に就任。日ソ漁業交渉などの政府代表として活躍し,62年には廖承志(りょうしょうし)との間で「日中総合貿易に関する覚書」に調印,LT貿易が開始された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「高碕達之助」の解説

高碕達之助 たかさき-たつのすけ

1885-1964 大正-昭和時代の実業家,政治家。
明治18年2月7日生まれ。大正6年東洋製缶を設立。戦時中は満州重工業開発総裁をつとめ,終戦の際日本人引き揚げに尽力する。昭和29年から鳩山内閣の経済審議庁長官,30年衆議院議員(当選4回,自民党),第2次岸内閣の通産相などをつとめる。また日ソ漁業交渉,日中貿易の促進に活躍した。昭和39年2月24日死去。79歳。大阪出身。水産講習所(現東京水産大)卒。

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367日誕生日大事典 「高碕達之助」の解説

高碕 達之助 (たかさき たつのすけ)

生年月日:1885年2月7日
大正時代;昭和時代の政治家;実業家。衆院議員(自民党);大日本水産会会長
1964年没

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世界大百科事典(旧版)内の高碕達之助の言及

【日中貿易】より

…この第2の原則に基づき,友好貿易という形でいわゆる〈友好商社〉が日本側の窓口になり,日中貿易をその後担っていくことになる。62年11月,高碕達之助廖承志(りようしようし)との間で,長期,総合,バーター(バーター貿易),延払い(延払輸出)を基本とする〈日中総合貿易に関する覚書〉が取り交わされ,廖,高碕の頭文字をとったLT貿易が始まった。これは先の第1の貿易原則である政府間協定ではないが,それに準ずる(準政府ベース)取決めであった。…

※「高碕達之助」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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