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岡村昭彦 おかむらあきひこ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

岡村昭彦
おかむらあきひこ

[生]1929.1.1. 東京
[没]1985.3.24. 東京
報道写真家。父方の祖父は中央大学学長で法学界の重鎮,父は海軍大佐,母方の祖父は海軍少将,ほかに侍従や医学者などを輩出する家系に生まれ,自身は東京医科専門学校に進むが 1947年に中退し,カメラマンを志す。 1962年にパナ PANA通信社に入社し,タイ,ラオスカンボジアを取材,翌年ラオスでの写真が『ライフ』の表紙を飾った。ベトナム戦争渦中の 1964年に南ベトナム政府軍に従軍,その際の写真が『ライフ』の特集で掲載され,1965年に海外プレスクラブ賞,芸術選奨を受賞。 1966年の『南ヴェトナム戦争従軍記』は日本人カメラマンがベトナム戦争の真実に迫った作品として反響を呼び,ベストセラーとなった。 1971年,ベトナムのラオス侵攻を取材した写真が再び『ライフ』に掲載される。後年,ベトナム滞在中に患ったマラリアの再発に苦しんだ。 1986年に『岡村昭彦集』と『岡村昭彦報道写真集』が出版された。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

岡村昭彦 おかむら-あきひこ

1929-1985 昭和時代後期の写真家。
昭和4年1月1日生まれ。37年からPANA通信特派員として,タイ,ラオス,カンボジア,ついでベトナム戦争を取材。「ライフ」に発表した作品で注目された。昭和60年3月24日死去。56歳。東京出身。東京医専(現東京医大)中退。著作に「南ヴェトナム戦争従軍記」など。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

岡村昭彦
おかむらあきひこ
(1929―1985)

フォトジャーナリスト。東京・原宿に生まれる。学習院初等科、中等科から東京中学校に転校し、4年生の時、『ライフ』誌に載っていたムッソリーニとその愛人が逆さ吊りにされた死体写真を見て衝撃を受けたという。1945年(昭和20)、東京医学専門学校(現東京医科大学)に入学するが、47年に中退する。この第二次世界大戦後の混乱期から、写真家となる66年までの活動と職業遍歴はめまぐるしい。引揚船で大連に行くなど海外同胞引揚援護会で活動したほか、アメリカ軍相手の輪タク屋などで生活する。その後、函館市郊外のトラピスト修道院や函館の書店で働いたほかさまざまな仕事に就いた後、50年代の後半には部落解放同盟に入ってオルグ活動をするようになり、東京の工場に住み込みで働いたりした。61年、総評の機関誌『新週刊』の編集部に勤める。その仕事を通じて小説家上野英信(ひでのぶ)(1923―87)や土門拳らと知り合う。
 『新週刊』が62年に廃刊となり、PANA通信社に入社して移動特派員となる。この時に初めてカメラを購入し、最初の赴任地であるタイのバンコクに行く。33歳にして突然の写真家への転身であった。翌年からラオスを取材、さらにベトナム戦争取材のためサイゴン入りして、南ベトナム前線に行く。さらにゴ・ジン・ジエム大統領兄弟暗殺のクーデター取材、カンボジア側からのベトナム国境の取材、その間に韓国漁船に乗り込んでの李承晩ラインの取材など、まさに移動特派員として縦横の行動力で撮影活動をする。それらの写真は雑誌『毎日グラフ』『朝日ジャーナル』『世界』『ライフ』や週刊誌などに掲載され、64年講談社写真賞を受賞する。その後もベトナム、ドミニカ、ベネズエラなどの取材を続け、65年には『ライフ』と契約し、PANA通信社を退社する。同年『南ベトナム戦争従軍記』を出版するが、その2週間後にアメリカは北ベトナムへの爆撃を開始し、ベトナム戦争への世間の関心は高まってベストセラーとなる。本書は、閉鎖になった新目尾(しんしゃかのお)炭鉱の廃鉱長屋で「筑豊文庫」を主宰していた上野英信の自宅で書き上げた。『ライフ』など数多くの雑誌への写真の掲載、写真集『これがベトナム戦争だ』(1965)の刊行、写真展の開催などの活動に対して、65年度芸術選奨文部大臣賞、アメリカ海外記者クラブ最優秀報道写真年度賞、日本写真協会年度賞を受賞する。
 この後も72年の『ライフ』休刊まで、タヒチ島、ニュージーランドなど環太平洋、北アイルランドの公民権要求闘争やナイジェリアの内戦を取材。ナイジェリアでは当初はナイジェリア側で取材するが、後に独立側のビアフラで従軍、さらにビアフラ崩壊後のナイジェリアも取材する。また南ベトナム軍によるラオス侵攻失敗の取材など、岡村の行動力は衰えることなく、それらの写真は内外のメディアに掲載された。『ライフ』休刊の後もエチオピアの旱魃(かんばつ)による飢餓の取材や、北アイルランド、ベルファストの取材などを行っているが、このころから「岡村さんと母親たちの会・武蔵野」という勉強会を始めたり、雑誌『新世』で母親向けの連載をするなど新たな模索を始めている。また、母親の故郷である静岡県舞阪(まいさか)町(現、浜松市)を根拠とするようになり、し尿処理場などの建設に反対し、舞阪の漁師らと汚染を防ぐための闘争を推進、世界の水資源問題に関心を深めた。
 80年ごろからはバイオエシックス(生命倫理)への関心を深めていき、82年には看護婦、医師、母親らを対象としてバイオエシックスやホスピスについての講演をするほか、これらについての著作活動を活発に行った。写真家、ジャーナリストという枠だけでは把握しきれない激動の人生を終えた岡村への関心は高く、死去の翌年には『岡村昭彦報道写真集』や『岡村昭彦集』が刊行されるなど、没後の関連出版物も多い。[大島 洋]
『『これがベトナム戦争だ』(1965・毎日新聞社) ▽『弱虫・泣虫・甘ったれ』(1968・三省堂) ▽『兄貴として伝えたいこと』(1975・PHP研究所) ▽『定本 ホスピスへの遠い道――現代ホスピスのバックグラウンドを知るために』(1999・春秋社) ▽『南ヴェトナム戦争従軍記』正・続(ちくま文庫) ▽むのたけじ・岡村昭彦著『1968年――歩み出すための素材』(1968・三省堂) ▽ビクター&ローズマリー・ゾルザ著、岡村昭彦監訳、木村恵子訳『ホスピス』(1981・家の光協会) ▽シシリー・ソンダース他著、岡村昭彦監訳、佐藤容子訳『ホスピスケアハンドブック』(1984・家の光協会) ▽杉岡博隆・米沢慧編『岡村昭彦報道写真集』(1986・講談社) ▽暮尾淳編『岡村昭彦集』1~6巻(1986~87・筑摩書房) ▽岡村明彦蔵書目録をつくる会編・刊『岡村明彦蔵書・著作目録』(1988) ▽岡村昭彦の会編・刊『シャッター以前』1~3(1990~99)』

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