翻訳|hospice
末期の癌(がん)など治癒の困難な疾患にかかった患者とその家族に対して、快適な生活を送れるように支援およびケアを提供する場。
従来、ホスピスとは理念を表すことばであり、同時にその理念を実践する場をも表していた。すなわち、「さまざまな専門家やボランティアが協力してつくったチームによって、治癒の困難な疾患の終末期(日本ではおもに末期癌)にある患者および家族が可能なかぎり人間らしく快適な生活を送れるように支援とケアを提供するという理念」であり、「同時にその支援やケアを提供する場」をも意味していた。この理念のもとに行われるケアがホスピスケアといわれていた。ケアが提供される場所によって施設ホスピスと在宅ホスピスに分けられていたが、基本的理念もケアもそのあり方は同じものである。
しかしながら、ホスピスが末期癌患者に対して専門的なケアを提供してきた結果、そこでは命の限りを精一杯生きるという内実とは裏腹に、一般の人々からはホスピスはまさに、死に場所と短絡的に理解されることも多くなった。
また、日本では後述もするが、1990年(平成2)より厚生省(現厚生労働省)の設置基準を満たしたホスピスは「緩和ケア病棟」として、末期の癌と末期のエイズ患者を主なる対象に医療保険制度に基づいてケアを提供できるようになった。
前記のような事情の下、近年では、ホスピスは「緩和ケア病棟」に、ホスピスケアは「緩和ケア」に言いかえられて表現されることが多くなった。
さらには「緩和ケア」の概念が、「治癒の不可能な疾患の終末期」に提供されるケアのあり方から、「生命を脅かす疾患による問題に直面している患者とその家族に対して、疾患の早期より、痛み、身体的問題、心理社会的問題、スピリチュアルな問題に関して、きちんとした評価を行い、それが障害とならないように予防したり、対処することで、クオリティ・オブ・ライフquality of life=QOL(生活の質)を改善するためのアプローチである」(WHO=世界保健機関、2002年)とされ、疾患の終末期だけでなく、その早期から必要なケアであると考えられるようになってきている。
[山崎章郎]
ホスピスの歴史は中世ヨーロッパにさかのぼる。当時、ヨーロッパ各地にあった修道院は、聖地エルサレムに向かう巡礼者たちが旅の途中で疲れたり、病気に倒れたとき、一夜の宿と食事を提供したという。この修道院の活動が近代ホスピスの源泉といわれている。
17世紀以降、フランス、ドイツ、アイルランドなどでホスピス活動が広がっていったが、癌の末期患者に対するケアを中心にした現代ホスピスの歴史は、1967年、イギリスのロンドンでシシリー・ソンダースCicely Saunders(1918―2005)が創設したセント・クリストファーズ・ホスピスから始まる。その後、現代ホスピスはアメリカで急速に広がるが、その第1号は1974年に設立されたコネティカット・ホスピスであった。このようなホスピスへの取組みはホスピス運動ともいわれ、シンガポール、台湾、韓国などのアジアの国々も含め世界中に広がっている。
日本におけるホスピスの第1号は、1981年(昭和56)静岡県浜松市にある聖隷三方原(せいれいみかたがはら)病院に開設された。その後の進展は遅々としていたが、1990年(平成2)より厚生省(現厚生労働省)が示した一定の施設基準を満たした病棟は緩和ケア病棟として認定され、そこでおもに末期癌患者に緩和ケアを提供した場合には、定額の医療費(1990年時点では1日2万5000円、2000年3万8000円、2008年時点では3万7800円)が請求できるようになった。そのために、それまで経営的には苦戦を強いられてきたホスピスは、緩和ケア病棟の認可を受けることによって一定の運営が可能となった。このような医療費の裏付けのもと、1990年代後半よりホスピス(緩和ケア病棟)は急増し、1990年には全国で5か所だったホスピスも、2008年6月の時点で183か所を数えるようになった。これらはさらに増加しつつある。
[山崎章郎]
従来は、ホスピス緩和ケアの目的は治癒不可能な疾患の終末期にある患者および家族が、可能なかぎり人間らしく快適な生活を送れるように支援することであったが、ホスピス緩和ケアが疾患の終末期のみならず、早期から必要なケアであると認識されるようになり、そのための基本方針を、NPO法人日本ホスピス緩和ケア協会は次の7項目としている。
(1)痛みやその他の苦痛となる症状を緩和する。
(2)生命を尊重し、死を自然なことと認める。
(3)無理な延命や意図的に死を招くことをしない。
(4)最期まで患者がその人らしく生きてゆけるように支える。
(5)患者が療養しているときから死別した後に至るまで、家族がさまざまな困難に対処できるように支える。
(6)病気の早い段階から適用し、積極的な治療に伴って生ずる苦痛にも対処する。
(7)患者と家族のQOLを高めて、病状に良い影響を与える。
前記7項目を実践するケアの提供形態としては
(1)ホスピス緩和ケア病棟
(2)がん診療連携拠点病院や一般病院における緩和ケアチーム
(3)在宅におけるホスピス緩和ケア
があるが、現在の日本の実情では、看護師の数など人材配置の問題などから、緩和ケア病棟は、おもに癌末期患者の療養の場となっている。したがって(6)の「病気の早い段階から適用し、積極的な治療に伴って生ずる苦痛にも対処する」という実践は、おもにケア提供形態のうち、(2)の緩和ケアチームが行っているのが現状である。いずれにせよ、これらを実践していくためには医師・看護師などの医療者のみならず、ソーシャルワーカーやボランティア、宗教者などでチームをつくり、患者・家族のさまざまなニーズ(要求)にこたえていくことが必要になる。
[山崎章郎]
日本でホスピス緩和ケアを提供しようとしているホスピス緩和ケア病棟は、2008年(平成20)6月現在183施設(総ベッド数約3580)である。これらの施設が有効に稼動したとしても、1年間にホスピス緩和ケアを受けることのできる患者数は約2万人と推定される。一方で、日本の年間癌死者数は2008年の時点で約33万人に達している。このことは、望んだとしても、癌死者の約6%しかホスピス緩和ケア病棟でのケアを受けられないことを示している。また、それら全国のホスピス緩和ケア病棟の平均在院期間は約6週間であり、これは在宅でのホスピス緩和ケアが中心の欧米ホスピスの平均在院期間約1週間の6倍にあたる。今後、日本でも在宅におけるホスピス緩和ケアが充実し、ホスピス緩和ケア病棟の平均在院期間が短縮できれば、さらに多くの患者がホスピス緩和ケア病棟を利用できることになる。在宅ケアの充実が求められる所以である。しかしながら、施設数が少ないにもかかわらず、全国のホスピス緩和ケア病棟のなかには、年間の平均ベッド稼動率が80%に達していない施設も少なくない。その理由の一つに患者に対する病名や病状の告知が十分にはなされていないために、ホスピス緩和ケアを受けるという選択ができないことがあげられる。より多くの末期患者がホスピス緩和ケアを受けられるかどうかは、日本に本当の意味でのインフォームド・コンセント(医師の十分な説明と患者の同意)が定着するかどうかにかかっているだろう。あるいはまた、ホスピス緩和ケアに携わろうとしている医師が少ないことも現在の問題である。末期患者に対して医師のなすべきことは種々あるのであるが、医学教育のなかではホスピス緩和ケアの重要性はほとんど認識されてこなかったからである。医学教育におけるホスピス緩和ケアに関するカリキュラムの充実も今後の課題であろう。さらには、ホスピス緩和ケアにおいてボランティアの存在はきわめて重要である。たとえば死を目前にした患者・家族が大切にしようとしていることは、特別なことというよりも日々の日常生活そのもののことが多い。そしてそれら専門家ではなくてもできる日常生活の支援は、ボランティアが大きな力を発揮できる場面であるからである。ホスピス緩和ケアへのボランティアの導入もまた今後の日本のホスピス緩和ケア病棟が取り組むべき課題である。またさらなる課題としては、ケアの形態としてはかなり普遍的なケアであるホスピス緩和ケアの提供を、癌患者以外にも提供できるようにしていくことがあげられる。
[山崎章郎]
『山崎章郎著『僕のホスピス1200日』(1995・海竜社)』▽『山崎章郎・桜町病院聖ヨハネホスピス・聖ヨハネホスピスケア研究所著『「生」を最後まで輝かせるホスピス・ハンドブック』(2000・講談社)』▽『山崎章郎・米沢慧著『ホスピス宣言――ホスピスで生きるということ』(2000・春秋社)』▽『谷荘吉・錦織葆著『最新ホスピスQ&A100』(1999・東京書籍)』▽『柏木哲夫著『系統看護学講座別巻1 ターミナルケア』改訂3版(2000・医学書院)』▽『柏木哲夫著『癒しのターミナルケア』(2002・最新医学社)』▽『柏木哲夫著『定本ホスピス・緩和ケア』(2006・青海社)』▽『シシリー・ソンダース他編、岡村昭彦監訳『ホスピス――その理念と運動』(2006・雲母書房)』▽『山崎章郎・米沢慧著『新ホスピス宣言――スピリチュアルケアをめぐって』(2006・雲母書房)』▽『野沢一馬著『いま患者が求めるホスピス緩和ケア――病院、在宅のホスピス緩和ケアではなにが求められているのか』(2006・ぱる出版)』▽『柏木哲夫著『あなたともっと話したかった――日本のホスピス生みの親・20年の実践』(日経ビジネス人文庫)』
悪性の疾患にかかり,治癒の可能性がなく,進行した状態あるいは末期の状態にある患者とその家族が,死までの残された時間に意味を見つけ,その時間を十分に生きることを可能にするための,思いやりのある広範囲なケアをホスピス・ケアhospice careという。こうしたケアは,在宅でも入院でも行えるが,このための特別の施設をホスピスという。もともとはこの語は,巡礼者の宿泊所を意味した。
ホスピス・ケアを普及する運動をホスピス運動というが,ホスピス運動は当初ヨーロッパにおいて展開された。ホスピス運動には,中世の行路病者や悪性疾患の末期患者で身寄りのない者などを受け入れたオテル・ディユの伝統を継いだカトリック系のものと,1967年にロンドンに設立された〈セント・クリストファー・ホスピス〉に代表されるプロテスタント系のものとの二つの流れがある。今日では,これらのうちソンダースCicely Saundersの創設による〈セント・クリストファー・ホスピス〉の思想と実践が,世界のホスピス運動に強い影響を与えている。
具体的なホスピス・ケアは,痛みの緩和に代表される身体的苦痛への対処,死への不安に代表される精神的苦痛への対処,残される者,とりわけ配偶者への対処が中心的内容をなしている。精神的苦痛への対処では宗教の果たす役割が大きく,ホスピス運動が国際的にみても宗教をバックボーンとして発展している事実につながっている。ホスピス・ケアは,高齢化社会の進展に伴い,本格的に展開された。また専門スタッフの養成,ホスピス・ケアのプログラム開発,医療費負担のあり方等々,医学的,医学教育的,経済的な検討も開始されている。1980年には16ヵ国の代表が参加して,第1回ホスピス国際会議がセント・クリストファー・ホスピスで開かれ,ホスピス・ケアに関する国際的な学問的・実践的交流と研究の場が形成された。
日本におけるホスピス・ケアは,西欧諸国よりも立ち遅れている。その理由の一つとして,死が不可避であることを患者に告げる習慣が欠けていること,すなわち〈死の宣告〉に対する拒否反応が医師,患者,家族のいずれにも根強く存在していることが指摘される。また,死を前提としたケアを,臨床医学の敗北と受けとる立場もある。日本におけるホスピス・ケアは,これらの問題について,関係各層の合意を形成しつつ進められ,キリスト教を背景としたホスピスをはじめ,在宅ホスピスを含めて,その数は増加しつつある。
執筆者:日野 秀逸
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(田辺功 朝日新聞記者 / 2007年)
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…かなり厚い看護体制の必要な特別養護老人ホームは,近年かなり日本各地に設立されている。しかし,臨死期の患者を迎えて,苦痛を延ばすのみと感じられるような積極的医療を控え,人間的な慰撫を基調とするホスピスは,1967年ロンドンに始めて設けられてから,しだいに数が増え,アメリカではホスピス協会が設立されるほどになっているが,日本では1,2ヵ所にとどまり,しかも,出来高払いの日本の健康保険の診療報酬体系にはのりにくいために,普及の可能性は乏しいとみられている。
【病院と患者と医師】
医療技術的には,病院は近代医学の実質的な象徴である。…
…また同じころ数多く制作された各種の〈来迎図〉も,臨終時の往生を約束する聖具として利用された。 ところで今日,西欧では死のみとりの問題はホスピス運動として知られているが,この考えの源流は11世紀の十字軍戦争の時代にさかのぼるという。すなわち当時,聖地エルサレムへの旅で病気になった巡礼者や,従軍して傷を負ったキリスト教徒たちを収容する施設が作られたが,それが同時に死のみとりを行う場所ともなった。…
※「ホスピス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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