報道写真(読み)ホウドウシャシン

デジタル大辞泉 「報道写真」の意味・読み・例文・類語

ほうどう‐しゃしん〔ホウダウ‐〕【報道写真】

新聞・ラジオ・テレビなどで報道することを目的として撮影される写真。

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精選版 日本国語大辞典 「報道写真」の意味・読み・例文・類語

ほうどう‐しゃしんホウダウ‥【報道写真】

  1. 〘 名詞 〙 事実を報道することを目的として撮影された写真。
    1. [初出の実例]「キャパが固有名詞に値するようになったのは、スペインの内乱の報道写真を出してかららしい」(出典:第2ブラリひょうたん(1950)〈高田保〉アロハ)

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改訂新版 世界大百科事典 「報道写真」の意味・わかりやすい解説

報道写真 (ほうどうしゃしん)

社会や自然界できごとを,広く伝達する写真のこと。日本語としては昭和初期に,写真評論家の伊奈信男が〈ルポルタージュ・フォトreportage photo〉の訳語としてこの言葉を用いたのが初めといわれる。その意味では,〈報道写真〉という言葉はやや固有名詞的な性格を帯びているわけであるが,しかし今日の一般の意識としては,いわゆる〈ドキュメンタリー写真ドキュメンタリー・フォト)〉ともほぼ同じような意味で,また,いわゆる〈ニュース写真〉などもその中に含めて,より広い意味の言葉として用いられ,定着しているということができる。

 画像による伝達と言語による伝達は互いに機能特性が異なり,そのため古くから言語を補う意味で,新聞などの印刷媒体には挿絵(イラストレーション)が利用されていた。1872年(明治5)に発刊した日刊紙東京日日新聞》でも錦絵が使われていたという。この時点ではすでに写真は実用化していたのだから,その新聞への利用も当然考えられることであったが,写真が大量印刷で使用されるようになるのはずっと遅れて,20世紀初頭になってからである。それまでは写真を利用するといっても,写真を原画とした木版が用いられるにすぎなかった。輪転機用の鉛版を使って最初に写真印刷を試みたのは,1903年,〈日本新聞社〉においてであった。海外の事情も日本とほぼ同じで,第1次大戦時のニュース写真も新聞などにはあまり掲載されず,のちにスライドアルバムとして売られたにすぎなかったという。

 日刊新聞でニュース写真が十分に使えるようになるのは,写真製版が容易になり,またスナップショットで撮影が楽にできるようになった1920-30年ころである。ニュース写真は毎日の事件や生活を,ニュースバリューを第一の基準として選択し,迅速に報道する写真だが,そのために〈消費する写真〉という性格を本質的にもっている。たとえば日本社会党の浅沼稲次郎委員長が刺殺される瞬間を撮影し,ピュリッツァー賞を受けた毎日新聞の長尾靖の場合のように,ニュース写真で撮影者の個人名が話題となるのはまれなことであり,ほとんどは無名,無署名が普通のことである。このことは〈消費される写真〉としてのニュース写真の性格をよく物語っている。

 だが,こうしたニュース写真は広義の報道写真の一分野であり,いうまでもなく,この他に報道写真の領域は大きく広がっている。その多彩な展開と意義については,今日ますます注目すべきものがあるといってよい。例えば,古くは世界最初の従軍写真家としてクリミア戦争を撮ったロジャー・フェントン(1885)や,南北戦争を撮ったM.B.ブラディ(1861)らの写真は,現在の日々消費されるニュース写真とはまったく違う性格をもっている。彼らが〈記録〉にかけた意欲はきわめて旺盛であり,戦争に対する自覚的な関わり方は,単に事件があるから出向くといったような姿勢ではない。日本で,北海道開拓使に随行した田本研造の写真記録の場合も同じであろう。こうした先達の方法と精神を継承した多くの写真家が,単なるニュース写真にはとどまらぬ報道写真の道を切り開いてきた。

 ドイツでは1920年代の後半から,ドイツ労働者写真家連盟の機関誌に載せられた下級労働者の実情を撮った組写真や,ワルター・ネッテルベックのエッセーなどによって,徐々にルポルタージュ・フォトの方法論が明確な形をとりはじめ,《ミュンヘナー・イルストリールテ》誌の編集長となったシュテファン・ローラントによる撮影や写真の組み方の原則の明示,それにすぐれた写真家の輩出によって,1930年ころには写真週刊誌の隆盛期を迎えた(グラフ・ジャーナリズム)。ルーマニア生れのムンカッチMartin Munkacsi,アイゼンシュタットAlfred Eisenstaedt,ハンガリー生れのR.キャパ,日本の名取洋之助などはこうした環境のもとに活躍した写真家である。名取洋之助は1932年にドイツから日本に帰り,〈日本工房〉を設立してドイツで体得したルポルタージュ・フォトの方法を木村伊兵衛土門拳らとともに実践し,日本における報道写真の道を開くことに大きな貢献をした。

 一方,アメリカにおいては,ニューヨークの貧民街を撮影してキャンペーンを行ったリースJacob August Riis(1880)や,20世紀の初めに移民収容所の悲惨な状況を撮影して社会に訴えたL.W.ハインなどが独自のドキュメンタリー・フォトの道を開きはじめ,とくに大恐慌後の30年代に,R.E.ストライカーの指導のもと,FSA(Farm Security Administration=農地保全管理局)広報資料撮影のために集まった写真家たち,すなわち,W.エバンズD.ラング,ロスタインArthur Rothsteinらは,アメリカのドキュメンタリー・フォトの基本的な方向を打ち出したといえる。36年に創刊された《ライフ》その他の写真週刊誌では,ドイツから移住した写真家たちなども含め,多くの写真家によりジャーナリスティックな活動が続けられた。

 ルポルタージュ・フォトと呼ばれるドイツの報道写真の特徴は,素材主義的,客観的,技術的なところであり,これに対してアメリカのドキュメンタリー・フォトは,写真家主体の問題把握や分析・洞察が重視される点が特徴である。このように両者にはやや傾向の違うところが見受けられるが,両者とも写真という一種の記号によって,社会や自然界の事象を伝達するためのきわめて似通った二つの方法論であることは明らかで,したがって,ともに一つの〈報道写真〉という概念にまとめて考えることが適切といえる。
写真[人間と写真の歴史]
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「報道写真」の意味・わかりやすい解説

報道写真
ほうどうしゃしん

事件や事故など社会情勢や、世相、風俗、習俗など社会の表情を具体的に伝える目的で撮影される時事的な写真の総称。語源としては、1920年代のドイツでウルシュタイン社が発行していた日刊新聞や週刊誌に掲載された新しい写真ドキュメンタリーの形式・内容に、写真評論家の伊奈信男(いなのぶお)(1898―1978)が、報道写真の訳語をあてたもので、第二次世界大戦後、新聞写真を含め、社会的な題材を扱った写真すべてをこの名称でよぶようになった。広義のドキュメンタリー写真が自然、社会一般の現象を客観的に記録、伝達するのに対し、報道写真は題材を同じくしながら、速報性が重視され新聞・雑誌などの媒体で、読者に迅速な理解を促すように撮影、構成される。そこで、フォト・ジャーナリズム、グラフ・ジャーナリズムの写真様式のことをもさすようになった。

 報道写真の歴史的展開は、1925年ドイツで開催された「新即物主義展」の客観主義に徹した写真表現に端を発し、題材を日常の事象に及ぼしたウルシュタイン社が、ドキュメンタリー写真を報道写真へと発展させたのであった。その後ナチスの台頭でアメリカに亡命した写真家たちが、『タイム』『フォーチュン』の発行者H・R・ルースによって36年11月23日に創刊された『ライフ』や、その6週間後に創刊された『ルック』などに報道写真のスタイルを導入し、編集者、記者、写真家が一体となった組織的な編集制作方法を確立した。『ライフ』はこれをフォト・エッセイとよんだ。『ライフ』は最盛期850万部を発行し、アメリカの政治、外交をキャンペーンする役割を果たすとともに、そのスタッフ写真家にはいずれもこの時代を代表する報道写真家を配し、テレビが発達するまで、社会的に強い影響力をもつ媒体であった。第二次世界大戦後はカルチエ・ブレッソンやロバート・キャパたちによる報道写真の通信社「マグナム・フォトス」も設立され、1960年代は報道写真のもっとも充実した時代であったが、テレビの発達などによる72年の『ライフ』休刊で、衰退期に入った。なお『ライフ』は78年に月刊誌として復活したものの、売れ行きの落ち込みにより、2000年に廃刊している。その後、アメリカのタイム・ワーナー社の雑誌出版部門であるタイム社が、2004年10月から『ライフ』を新聞の折り込み誌として復刊した。これは、提携した新聞の毎週金曜日版に折り込まれる無料週刊誌という形をとっている。

 日本ではドイツで報道写真を学んだ名取洋之助が「日本工房」を設立(1933)し、その影響下から出た木村伊兵衛(いへえ)や土門拳(けん)が第二次世界大戦後も活躍した。その後、放送メディアの隆盛に押されて出版ジャーナリズムが衰退するなか、1980年代に入るとスキャンダル報道などセンセーショナルなニュースを扱う写真週刊誌の登場で、報道写真はふたたび注目されるが、2001年(平成13)にはその種の雑誌では草分けである『フォーカス』が休刊となった。しかしそうした一過性の報道ではなく、戦乱や人種問題などについて長期にわたる個人取材を敢行し、人間の普遍性を追求しようとする地道な報道写真家たちはなおも世界各地で活躍を続けている。

[重森弘淹・平木 収]

『中井幸一編『日本写真全集10 フォトジャーナリズム』(1987・小学館)』『A・ゴールドスミス解説『世界写真全集3 フォトジャーナリズム』(1989・集英社)』『徳山善雄著『フォト・ジャーナリズム――いま写真に何ができるか』(平凡社新書)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「報道写真」の意味・わかりやすい解説

報道写真
ほうどうしゃしん
photojournalism

ニュース性のある出来事や人物を主体として報道する写真形式。広義には迅速な報道を目的とする新聞写真を含むが,狭義にはグラフ雑誌,写真雑誌,写真集を主たる媒体として,写真家独自の問題意識や主張に基づいたカメラ・アイによって,社会現象や自然現象をいわゆる組写真の形式で報道するフォト・エッセーを意味する。『ライフ』誌を中心に活躍したマグナム集団の写真家によるフォト・エッセーが代表的なもの。写真の発明直後から新聞写真として登場し,1930年代以降グラフ・ジャーナリズムの隆盛を背景として社会的影響力を高めたが,60年代以降テレビの台頭とともにその性格と意義が問直されようとしている。なお,日本語の「報道写真」という呼称は,ルポルタージュ・フォト reportage photoを伊奈信男が訳した際に初めて使われたとされる。客観的,素材主義的なこのドイツのルポルタージュ・フォトと,写真家の主体性が重視されるアメリカのドキュメンタリー・フォト (→記録写真 ) は報道写真の二大潮流である。

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世界大百科事典(旧版)内の報道写真の言及

【伊奈信男】より

…これは従来の印象批評を排して写真芸術の〈機械的メディアの特性〉を強調,写真の本質を追究したもので,日本に近代的な写真批評を確立した論文とされる。reportage photoを最初に〈報道写真〉と訳し,この分野の体系を明らかにした。第2次大戦後は評論活動のほか,日本写真協会常任理事などを務めた。…

【名取洋之助】より

…写真家,編集者。日本に最初に本格的な〈報道写真〉の理念と方法を紹介した人物として知られる。実業家名取和作の三男として東京に生まれ,慶応義塾普通部卒業後,1928年に渡独,独学でカメラの操作を学び,ウルシュタイン社の契約カメラマンとなる。…

※「報道写真」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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