改訂新版 世界大百科事典 「岡田山古墳」の意味・わかりやすい解説
岡田山古墳 (おかだやまこふん)
松江市大草町の八雲立つ風土記の丘内にある古墳群で,大小7基の墳墓が確認されている。1号墳と2号墳が比較的大きく,2号墳は直径約43mの円墳であるが,未発掘。1号墳は主軸を南北方向にとる全長約24mの前方後方墳で,後方部は幅約14m,高さ約4m,前方部も幅約14m,高さは3.5mを測る。墳丘は3段築成で,前方部前面に長方形のテラスをもつ。くびれ部と後方部の墳麓から円筒埴輪と子持壺が出土。後方部には西に開口する全長約5.6mの横穴式石室があり,両袖式で割石を小口積みとする。玄室内に凝灰岩の組合せ式家形石棺が置かれ,さらにその前面に板状の石を組み合わせた一区画がある。古墳の築造年代は6世紀後半ごろ。1915年に私掘され,内行花文鏡,大刀,刀子,金銅丸玉,耳鐶,馬具などが出土したが,出土状態は明らかでない。そのうち把頭に双鳳亀甲繫文の銀象嵌を施した円頭大刀の残存刀身(26.3cm)に〈各(額)田(部)臣□□□□(素か)□大利□〉という象嵌銘文の刻まれていることが,1983年末にX線撮影により明らかとなった。〈額田部臣(ぬかたべのおみ)〉は《出雲国風土記》によると大原郡少領にみえるので,この銘文によって,当時出雲に名代(なしろ)とみられる額田部を管掌する地方豪族として,〈臣〉のカバネを有する額田部臣の存したことが知られ,日本古代の部民制の展開を示す最古の貴重な史料となっている。
執筆者:岸 俊男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報