岩倉山
いわくらやま
[現在地名]脇町 段・中段・西大谷・東大谷・新山・鼓尾・芋尻・段名・羽出床・白木・神楽田・小丸・上ノ原・井口東・井口・小星・川原柴・横倉・暮畑・芋穴・梨子木・穴ノ内・宮ノ尾・平帽子・上中野・下中野・中八・舟木
岩倉村の北に位置し、北は讃岐山脈を境に讃岐国香川郡安原村(現香川県塩江町)、東は曾江山、南東は脇町・北庄村、西はほぼ野村谷川を境に郡里村のうちの郡里山(現美馬町)。讃岐山脈の南斜面とその麓に展開する洪積台地(河岸段丘)に集落が点在し、村の北東端、安原村や曾江山との境に大滝山(九四六メートル)がそびえる。古くは岩倉村と合せて岩倉といったと思われる。市原本「祖谷山旧記」などによると天正一三年(一五八五)蜂須賀家政が阿波に入部したとき「岩倉山・曾江山之住居人供」はこれに抗し、小野寺源六・六郎三郎兄弟らに取鎮められたという。慶長二年(一五九七)の分限帳では稲田小八郎(示稙)知行分のうちに岩倉山高一六〇石がみえる。正保国絵図にも岩倉山とあり、高一七五石。寛文四年(一六六四)の郷村高辻帳には「はへ山」との注記があり、村高一七五石はすべて畑方。「阿波志」によると土田の等級は下等、反別は六〇七町四反余、陸田一〇分の九、水田一〇分の一の割で、家数七二五。
岩倉山
いわくらやま
[現在地名]長野市信更町山平林
虚空蔵山とも称す。標高七六四メートル。東は有旅村の茶臼山(七三〇メートル)に相対し、南は山平林村、西から北の山麓に安庭村があり犀川がめぐる。山は安山岩で上部は礫岩を含んでいる。
弘化四年(一八四七)三月二四日の善光寺大地震では、岩倉山の崩落ちは最大のものであった。山は、南西の部分が峰から馬蹄形に崩れて、岩倉・孫瀬の二集落三八戸もろとも押し下し、犀川を堰塞し八一人の死者を出した。
岩倉山
いわくらやま
歌枕。「五代集歌枕」「八雲御抄」にあげられ、次の「拾遺集」の作を証歌とする。
<資料は省略されています>
いずれも祝意を詠むもので、次の作も賀歌である。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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