共同通信ニュース用語解説 「峠三吉」の解説
峠三吉
1917年に大阪で生まれ、その後広島へ。旧県立広島商業学校に在籍中、作詩を始めた。幼いころから病弱で発熱や
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1917年に大阪で生まれ、その後広島へ。旧県立広島商業学校に在籍中、作詩を始めた。幼いころから病弱で発熱や
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昭和期の詩人
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
詩人。大阪府生まれ。幼時に広島へ移り1935年(昭和10)に広島商業学校卒業。在学中より詩作を始め、卒業後、結核罹患(りかん)。キリスト教の洗礼を受ける。45年、広島で原爆被曝(ひばく)、第二次世界大戦後は広島で文化運動のリーダーとなり、新日本文学会に参加。共産党入党。50年(昭和25)に「われらの詩の会」を結成。51年、謄写版の『原爆詩集』を出版。52年に詩集『原子雲の下より』を編集する。「にんげんをかえせ」と叫ぶ原爆被曝を基底にしたヒューマンな叙情は戦後のドキュメンタリーとしても評価が高い。53年結核で死亡。没後『峠三吉全詩集――にんげんをかえせ』(1970)が出版された。
[村田正夫]
『『峠三吉全詩集――にんげんをかえせ』(1970・風土社)』▽『『峠三吉作品集』上下(1975・青木書店)』
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…第1は,1945年8月6日広島に,ついで8月9日長崎に原爆が投下されたとき,広島,長崎に居合わせた文学者がつぶさに惨状を目撃したり記録をとったりしたのをもとに証言性の高い作品を書いたことにはじまる。原民喜の《夏の花》《廃墟から》(以上1947),《壊滅の序曲》(1949)の三部作から《鎮魂歌》《心願の国》にいたる作品,大田洋子の《屍(しかばね)の街》(1948),《半人間》(1954)などの作品,峠三吉(1917‐53)の《原爆詩集》(1951),正田篠枝の《さんげ》(1947)などの詩歌集が代表的なものである。第2は,学生時代に被爆し,多くの学友や隣人の死に立ち会った人が長じて作家となり書いた作品。…
※「峠三吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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