峠三吉(読み)とうげさんきち

精選版 日本国語大辞典 「峠三吉」の意味・読み・例文・類語

とうげ‐さんきち たうげ‥【峠三吉】

詩人本名三吉(みつよし)大阪府出身。広島での原爆被爆体験をもとガリ版刷りの「原爆詩集」を刊行した。他に「峠三吉全詩集━にんげんをかえせ」がある。大正六~昭和二八年(一九一七‐五三

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「峠三吉」の意味・わかりやすい解説

峠三吉
とうげさんきち
(1917―1953)

詩人。大阪府生まれ。幼時に広島へ移り1935年(昭和10)に広島商業学校卒業。在学中より詩作を始め、卒業後、結核罹患(りかん)。キリスト教洗礼を受ける。45年、広島で原爆被曝(ひばく)、第二次世界大戦後は広島で文化運動のリーダーとなり、新日本文学会に参加。共産党入党。50年(昭和25)に「われらの詩の会」を結成。51年、謄写版の『原爆詩集』を出版。52年に詩集『原子雲の下より』を編集する。「にんげんをかえせ」と叫ぶ原爆被曝を基底にしたヒューマン叙情は戦後のドキュメンタリーとしても評価が高い。53年結核で死亡。没後『峠三吉全詩集――にんげんをかえせ』(1970)が出版された。

[村田正夫]

『『峠三吉全詩集――にんげんをかえせ』(1970・風土社)』『『峠三吉作品集』上下(1975・青木書店)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「峠三吉」の解説

峠三吉 とうげ-さんきち

1917-1953 昭和時代の詩人。
大正6年2月19日生まれ。昭和20年広島で被爆。原爆症にくるしみながら広島青年文化連盟などの文化活動を指導する。26年「原爆詩集」をガリ版刷りで出版,27年「原子雲の下より」を編集。昭和28年3月10日死去。36歳。没後に「峠三吉全詩集―にんげんをかえせ」が刊行された。大阪出身。広島商業卒。本名は三吉(みつよし)。
格言など】ああみんなさきほどまでは愛らしい 女学生だったことを だれがほんとうと思えよう(「原爆詩集」)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「峠三吉」の意味・わかりやすい解説

峠三吉
とうげさんきち

[生]1917.2.19. 大阪,豊中
[没]1953.3.10. 広島
詩人。本名,三吉 (みつよし) 。県立広島商業学校卒業後,俳句,短歌の創作から出発し,詩作に入った。 1945年,広島で被爆,以後原爆症に苦しみながら『八月六日』 (1950) ,『原爆詩集』 (51) など原爆の惨禍を訴えた反戦詩を書いた。

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世界大百科事典(旧版)内の峠三吉の言及

【原爆文学】より

…第1は,1945年8月6日広島に,ついで8月9日長崎に原爆が投下されたとき,広島,長崎に居合わせた文学者がつぶさに惨状を目撃したり記録をとったりしたのをもとに証言性の高い作品を書いたことにはじまる。原民喜の《夏の花》《廃墟から》(以上1947),《壊滅の序曲》(1949)の三部作から《鎮魂歌》《心願の国》にいたる作品,大田洋子の《屍(しかばね)の街》(1948),《半人間》(1954)などの作品,峠三吉(1917‐53)の《原爆詩集》(1951),正田篠枝の《さんげ》(1947)などの詩歌集が代表的なものである。第2は,学生時代に被爆し,多くの学友や隣人の死に立ち会った人が長じて作家となり書いた作品。…

※「峠三吉」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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