江戸末期から明治前期の代表的な仏教学僧。浄土宗伝通院(でんずういん)学頭、増上寺法主、知恩院(ちおんいん)門主、浄土宗管長。歌人。武蔵(むさし)国(東京)豊島(としま)郡山谷の出生と伝えられ、諱(いみな)は初め大堂、字(あざな)は普阿、建蓮社立誉(けんれんしゃりつよ)と号する。6歳で出家、19歳で京都に遊学し立道に宗学、慧澄(けいちょう)(1780―1862)らに天台学などを学び、自ら通仏教と浄土学を学風とすると称する。両国回向院(えこういん)住職のとき明治維新となり、廃仏棄釈に対して諸宗の僧を糾合し同盟会を結び自ら盟主となり仏教界の危機を救い、浄土宗大教院の教頭に任ぜられる。1880年(明治13)島田蕃根(しまだばんこん)と『縮刷大蔵経(だいぞうきょう)』を編纂(へんさん)、著述は『行誡上人(しょうにん)全集』全1巻(1942・大東出版社)に収められている。
[塩入良道 2017年9月19日]
(林淳)
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