崔承喜(読み)さいしょうき(その他表記)Ch`oe Sǔng-hǔi

改訂新版 世界大百科事典 「崔承喜」の意味・わかりやすい解説

崔承喜 (さいしょうき)
Ch`oe Sǔng-hǔi
生没年:1913-69

朝鮮舞踊家。石井漠の下で研修の後,1930年代から朝鮮をはじめ,日本,欧米,中国の各地で1000回余りの公演をおこない,民族的伝統美を生かしたモダン・ダンスによって〈半島舞姫〉の名を全世界にとどろかせた。解放後は北(朝鮮民主主義人民共和国)を選択し,1948年に第1期最高人民会議代議員,61年朝鮮舞踊家同盟中央委員会委員長といった要職につくと同時にひきつづき舞踊活動を展開。52年功勲俳優の称号をうけ,56年にソ連・東欧諸国を巡回公演,57年に国旗勲章第1級を叙勲されたが,58年以降なんらかの批判をうけたらしく,いっさいの社会的活動を停止している。代表的作品には解放前の《エヘヤ・ノアラ》《石窟庵菩薩》《剣の舞》,解放後の《風浪をついて》《優雅なる女の舞》《半夜月城曲》などがある。夫は安漠,兄は崔承一で,ともに朝鮮のプロレタリア文学者として知られる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「崔承喜」の意味・わかりやすい解説

崔承喜
さいしょうき / チェスンヒ
(1911?―69?)

朝鮮の女流舞踊家。ソウル生まれ。淑明女学校卒業。1926年石井漠(ばく)に入門、30年第1回舞踊発表会を開き、34年に独立し、欧米や中国などに巡演して朝鮮の舞姫とたたえられ、国際的な舞踊家となる。民族舞踊を素材にした『僧舞』『剣舞』『扇の舞』『鳳山仮面舞』など話題作を数々発表。第二次世界大戦後は、おもに北朝鮮で活躍。1946年崔承喜舞踊研究所(52年国立に昇格)を開き、『半夜月城曲』『沙道城物語』などの舞踊劇を意欲的に発表。1962年人民俳優の称号を受け、朝鮮舞踊家同盟委員長や政府の要職を歴任したのち、消息不明となった。著書に『朝鮮民族舞踊基本』『朝鮮児童舞踊劇基本』があり、前者は朝鮮舞踊の基本を解明した教典である。

[金 両 基]

 2003年2月、北朝鮮の朝鮮中央テレビは、崔承喜の遺骨が愛国烈士陵に安置されたことを報道した。墓碑には「1969年8月8日逝去」と記されているが、生没年に関して異説もある。

[編集部]

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百科事典マイペディア 「崔承喜」の意味・わかりやすい解説

崔承喜【さいしょうき】

朝鮮の女性舞踊家。ソウル生れ。石井漠(ばく)に師事し,民族的な伝統美を生かしたモダン・ダンスにすぐれた。1930年代から朝鮮,日本,ヨーロッパなどで公演し,1935年には映画《半島の舞姫》に出演し,自身も〈半島の舞姫〉と称された。解放後は朝鮮民主主義人民共和国で政治的要職に就き,舞踊活動も行った。1958年以降の消息は不明であったが,2003年名誉回復された。代表作に《エヘヤ・ノアラ》《風浪をついて》など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「崔承喜」の解説

崔承喜 チェ-スンヒ

1911-1969 朝鮮の舞踊家。
1911年11月24日生まれ。石井漠(ばく)にモダンダンスをまなぶ。朝鮮の伝統的舞踊をもとにした「僧の舞」「剣の舞」などの創作舞踊を発表。欧米,中国などで公演し,「世紀の舞姫」とよばれた。解放後は朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)で舞踊活動にあたり,第1期最高人民会議代議員,人民俳優。1969年8月8日死去。59歳。漢城(現ソウル)出身。淑明女学校卒。著作に「朝鮮民族舞踊基本」など。

崔承喜 さい-しょうき

チェ-スンヒ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「崔承喜」の意味・わかりやすい解説

崔承喜
さいしょうき

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