日本大百科全書(ニッポニカ) 「民族舞踊」の意味・わかりやすい解説
民族舞踊
みんぞくぶよう
民族あるいはその民族によって形成される国家を単位にした舞踊の総称。民族舞踊は英語のエスニック・ダンスethnic danceの訳語であり、フォーク・ダンスfolk danceあるいはカントリー・ダンスcountry danceの訳語である民俗舞踊とは異なる。欧米でエスニック・ダンスという場合、西洋以外の、非キリスト教的、異国風のというニュアンスが含まれることが多い。民族舞踊と民俗舞踊とは重複する部分も多く、厳密な区別はしにくいが、各地方の土俗的な舞踊を民俗舞踊とよぶのに対して、各民族を代表する舞踊を民族舞踊というのが妥当であろう。たとえば、歌舞伎舞踊(かぶきぶよう)は日本民族によって踊られるので民族舞踊であり、江戸の都市文化の一ジャンルであり、地方で踊られたことがないので民俗舞踊ではない。一方、岩手県の早池峰神楽(はやちねかぐら)は日本民族による民族舞踊であると同時に、地方で季節の行事として行われるために民俗舞踊でもある。
[市川 雅]
東洋と西洋、階層、文化圏による比較
東洋の舞踊は一般的には腕や手の動きが多く、西洋の舞踊は足の動きが多いといわれている。物語を舞踊によって語る歌舞伎やインドのカタカリなどは手による表現が重要であるが、ヨーロッパの民族舞踊のように物語を欠いているものは手の表現を必要とせず、活発な足の動きが重要となる。しかし、東洋・西洋ともに庶民の舞踊は足が活発に動き、宮廷など上流社会で発達した舞踊は緩慢な動作で手の表現が多いといわれている。舞楽や能に対して念仏踊などを比較すれば明らかである。一概に東洋の手の重視と西洋の足の重視を結論することはできない。
むしろ重要なのは、東洋の民族舞踊が互いに手を取り合わないのに反し、西洋の舞踊は互いに手を取り合い、相手の身体に触れたりすることが多いことである。イスラム文化の影響を色濃く残すスペイン南部アンダルシア地方のフラメンコは、男女が近接こそすれ、触れることはないが、キリスト教文化圏の同じスペインのカタルーニャ地方では、サルダーナを踊るときに男女が輪になり手を取り合う。東洋・西洋という比較ではなく、キリスト教文化圏とイスラム・ヒンドゥー・仏教文化圏の舞踊を比較したほうが明解であるかもしれない。
[市川 雅]
東アジア
日本では、雅楽、能、歌舞伎が古代、中世、近世にそれぞれ完成し、現在も上演される機会も多い。大陸から伝来した雅楽は舞楽ともいわれるように緩慢に旋回する舞である。能は同じく大陸からの散楽(さんがく)から発達して洗練されたもので、摺(す)り足による体全体の滑るような動きの舞を基本としている。念仏踊から発達した歌舞伎では、舞踊が主体の部分を「所作事(しょさごと)」といい、歌詞の意味するところを物あてぶり的な動作で表現する「振(ふり)」の要素が強い。日本民族を代表する狭義の日本舞踊はこの歌舞伎舞踊である。なお、日本各地に伝承する民俗芸能(民俗舞踊)には、神楽、風流(ふりゅう)、獅子(しし)舞、田楽(でんがく)などがある。
朝鮮には宮廷舞踊と民俗舞踊があり、宮廷舞踊としては雅楽、唐楽(タンアク)、郷楽(ヒャンアク)など、民俗舞踊には民間のシャーマニズムとして知られる巫舞(ムーダンチウム)、仏教系の僧舞(スンム)、風刺的な仮面劇や旅芸人の男寺党(ナムサダン)、農楽などがある。中国には京劇や川劇(せんげき)といった舞踊劇があり、『西遊記』などの作品には軽業(かるわざ)的な演技と舞踊が含まれ、スペクタクル性が強い。民間の舞踊は国が広いだけに数多くあり、漢民族の獅子舞や剣舞、日本の歌垣(うたがき)に似た雲南省のアカ族の対舞、ウイグル地区の輪舞など数多い。
[市川 雅]
東南アジア
古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』と『マハーバーラタ』に取材した舞踊劇がインドネシア、タイ、ビルマ(ミャンマー)一帯に広がっている。インドネシア、ジャワ島のスリムピはペルシアの物語を身ぶりで優雅に表現する宮廷舞踊である。また同国のバリ島には、3人の少女によって陶酔状態で踊られるレゴン、魔女ランダの悪魔祓(ばら)いであるバロン・ダンス、男たちの合唱で踊られるケチャなどがある。タイの宮廷舞踊には『ラーマーヤナ』を題材にしたコーンがある。衣装はきれいな装飾が施され、主役は塔状の冠を着けて登場する。手を反らしたきわめて緩やかな踊りである。ビルマにも『ラーマーヤナ』を題材にしたザット・プーエがある。東南アジアの舞踊は、イスラム教やヒンドゥー教など宗教的要素が色濃く残っている。
[市川 雅]
南アジア
寺院などで発生し、いまでは劇場などで上演されるインド古典舞踊に、ケララ州のカタカリ、オリッサ州のオディシー、マニプル州のマニプリ、デリー周辺からラージャスターン州にかけてのカタック、チェンナイ(マドラス)近辺のバーラタ・ナーティヤムなどがある。いずれもインド最古の聖典『リグ・ベータ』や叙事詩『ラーマーヤナ』『マハーバーラタ』などを題材にしている。これらの舞踊は裸足で足を踏み、鈴を鳴らしたりして踊られ、身ぶりで物語を描写するために手の動きが用いられる。インドの民俗舞踊は季節の祭りに行われたり、悪魔を祓(はら)うために招かれて演じられる。西ベンガル州のチョウなどはシバ神への信仰を基にした民族の祭りの一部として行われ、南インドの地母神バカバッティが登場し憑依(ひょうい)する舞踊も大地の肥沃(ひよく)を祈念するものとして演じられる。
スリランカにはベスダンスとよばれる悪魔祓いの舞踊があり、専門集団によって踊られ、激しい旋回を特徴としている。ペラヘラ祭の行列のなかで踊られる同国のキャンディアン・ダンスなども有名である。
[市川 雅]
オセアニア
この区域は広く、ミクロネシア、メラネシア、ポリネシアに分かれている。ミクロネシアのパラオ島には鹿児島の棒踊りに似た戦闘舞踊があり、日本との関係が推定される。ポリネシアのタヒチ島にはオテアとよばれる、男女が列をつくって尻(しり)を強く振って踊る舞踊があり、同じポリネシアのハワイ島のフラ・ダンスに似た形式といえる。メラネシアのニューギニアの先住民にも独自の舞踊があり、オーストラリア北部の先住民(アボリジニー)の仮面をかぶっての擬似戦争ともいえる戦闘舞踊は有名である。人類学者マルセル・モースが調査したトロブリアンド島には、男が女の集団に迫り、女がそれを押し戻すような民族舞踊があり、またその舞踊を基調にして、西洋文明がもたらした飛行機などが舞踊で模擬され、祭りで演じられたりしている。
[市川 雅]
ヨーロッパ
中世キリスト教社会が舞踊を排除したことなどから、ヨーロッパ各地の民族舞踊はアジアなどと違って宗教的な要素が著しく少なくなり、民衆が自ら踊って楽しむものになっている。「踊る世紀」とよばれた16世紀以降、さまざまな舞曲が流行したが、これらはバレエ史のなかではプレ・ロマンチック・ダンスといわれている。アルマンド、カドリーユ、ガボット、ガリアルダ、クーラント、サラバンド、ジーグ、シャコンヌ、タランテラ、パッサカリア、パソ・ドブレ、パバーヌ、ファランドール、ブランル、ブレー、ポルカ、ボレロ、ポロネーズ、マズルカ、メヌエットなどの民族舞曲が次々と生まれ、著名な作曲家がこれらを題材としてきた。現在も民衆によって比較的多く踊られているものに、バルカン半島諸国の輪舞型式のコロ、悲哀を帯びた部分と急速で荒々しい部分からなり男女交互のハンガリーの輪舞チャールダーシュ、スペインのアンダルシア地方の祭りでカスタネットを持って踊られるファンダンゴ、同国のアラゴン地方の祭りで踊られるホタなどがある。
[市川 雅]
アフリカ
アフリカでは宗教的、呪術(じゅじゅつ)的な舞踊が各地でみられ、祭りの儀式の一部として必要なものになっている。舞踊はアフリカでは危機的な時間を超えるために用いられる。たとえば病気の治療、娘から成人への入会式、葬礼、狩猟が成功するために、などである。中央アフリカのドゴン人からナイジェリアのバウレ人などアフリカ西海岸にかけて仮面舞踊が多く、その仮面は長いものから平べったいものまでさまざまである。研究家たちはアフリカ舞踊の特徴を動きの点からみると多中心的だという。手や足などがばらばらに動くということで、とくに東アフリカのケニア、ザンビア、タンザニアなどの諸民族にそれが多いといわれている。
呪術的な舞踊の例としてボツワナのサン人の治療舞踊をあげてみよう。病人が円陣の中心にうずくまり、男の踊り手たちは円に沿って単純なリズミックな歩行を繰り返す。病人は悪魔が放った矢が当たって病気になったと信じられており、男たちは踊りながら得た呪術的な力を病人に手渡そうとして、ときどき病人に触りに行く。この踊りは夜通し行われる。
[市川 雅]
北アメリカ
北アメリカの民族舞踊としては、ジャズ・ダンスと先住民(アメリカ・インディアン)の舞踊があげられる。19世紀後半、奴隷解放後のアメリカでは、黒人が広場などで、自分の出生地であるアフリカの舞踊、コンゴ・シャッフルなどを踊った。シャッフルとは足を引きずることをいい、黒人独特の歩行の仕方であった。同じくケーク・ウォークは、水甕(みずがめ)を頭にのせて気どってリズミックにのけぞったりして歩くもので、ケーキが賞品として出たことからこの名がある。そうした黒人の踊りはミンストレル・ショーでのソフトシューズ・ダンス、タップ・ダンスなどを経てジャズ・ダンスに発展した。現在、舞台でみられるジャズ・ダンスはジャズ・エイジにつくられたステップを基本に創作されたもので、ブロードウェーのミュージカルにはなくてはならないものとなっている。
先住民(アメリカ・インディアン)の多くは居留地で生活し、儀式やそれに伴う舞踊が行われることが少なくなっているが、スーの熊(くま)の舞踊、ダコタの野牛の舞踊、アパッチの道化舞踊、ホピの鷲(わし)の踊り、ナバホの火の踊りなどが有名である。ホピはアリゾナ州を本拠としており、降雨の少ないことから雨乞(ご)いの儀式を行い、蛇の舞踊が儀式の最終日に行われる。祖霊カチナが仮面を着けて来訪し、豊穣(ほうじょう)と降雨を約束する儀式である。
[市川 雅]
ラテンアメリカ
北アメリカだけでなく、メキシコ、グアテマラ、ボリビアなどラテンアメリカの先住民(アメリカ・インディアン)も、それぞれ固有の民族舞踊をもっている。メキシコのヤキ・インディアンのコヨーテの踊りは、コヨーテに扮(ふん)した3人の男たちが頭に鷲の羽をかぶり、コヨーテの皮を着け、かがんだ姿勢で膝(ひざ)を緩めて一晩中単調に踊る。コヨーテを祖霊動物とみる信仰からきているのだろう。またラテンアメリカには、キューバのボレロ、ハバネラ、ルンバ、チャチャチャ、マンボ、ブラジルのサンバ、アルゼンチンのタンゴなど、アフリカからもたらされたものとスペインなどラテン系のリズムの融合による、アフロ・アメリカンとよばれる民族舞踊が盛んである。
舞踊は宗教的儀礼の一部として発達し、人々の住むコミュニティは集団的願望を儀式に託して生きてきた。そのコミュニティは部族であり民族であった。民族舞踊はそれらの儀式にはなくてはならないものであった。また、言語以上に表現力があり、たいせつなコミュニケーションの方法であった。民族舞踊の価値は私たち現代人が考えている以上に高いものであった。
近年、ノンバーバル(非言語)・コミュニケーションのメディアとしての身体文化が見直されるようになり、舞踊民族学、舞踊人類学の研究も盛んになっている。国際演劇協会(ITI)の舞踊部会でも、フィリピンの民族舞踊のフェスティバルやシンポジウム、ロマやインドの舞踊のシンポジウムなどが行われており、日本の民俗芸能学者も中国や朝鮮に出向いて研究しており、比較民族舞踊学が構想されている。外国ではJ・ハンナ、P・ロイス、G・クラース、J・キアリノホモクなどが、それぞれ各地のフィールド調査を踏まえて論文を発表している。
[市川 雅]
『C・ザックス著、小倉重夫訳『世界舞踊史』(1972・音楽之友社)』▽『J・ローソン著、森下はるみ訳『フォークダンス 民族性と舞踊技術』(1975・大修館書店)』▽『M・ヴォージン著、市川雅訳『神聖舞踏』(1981・平凡社)』▽『宮尾慈良著『これだけは知っておきたい世界の民族舞踊』(1998・新書館)』