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川之辺一朝 かわのべいっちょう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

川之辺一朝
かわのべいっちょう

[生]天保1(1830).江戸
[没]1910
江戸時代末期~明治に活躍した蒔絵師。幸阿弥派の技法を習熟。 1880年東京美術学校教授,96年帝室技芸員。『菊花蒔絵書棚』 (宮内庁三の丸尚蔵館) や『藤牡丹蒔絵手箱』 (同) などが代表作。

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出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

川之辺一朝 かわのべ-いっちょう

1831*-1910 幕末-明治時代の蒔絵(まきえ)師。
天保(てんぽう)元年12月24日生まれ。徳川家蒔絵師の武井藤助にまなび,のち徳川家蒔絵方となる。明治29年帝室技芸員,翌年東京美術学校(現東京芸大)教授。幸阿弥派の最後の蒔絵師といわれ,写生にもとづく意匠を金色高蒔絵で表現した。明治43年9月5日死去。81歳。江戸出身。通称は源次郎,平右衛門。作品に「菊花蒔絵書棚」。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

川之辺一朝

没年:明治43.9.5(1910)
生年:天保1.12.24(1831.2.6)
幕末明治期の蒔絵師。江戸浅草生まれ。通称源次郎。12歳のときに徳川将軍家細工所棟梁幸阿弥因幡長賢の仕手頭武井藤助に入門し蒔絵の修業をする。嘉永3(1850)年独立して平右衛門を襲名し一朝と号した。維新前は,将軍家御殿の蒔絵方を勤め,文久1(1861)年和宮の婚礼調度に携わる。維新後は,明治6(1873)年ウィーン万国博「富士十二景蒔絵書棚」出品,第1回内国勧業博・花紋賞,第2回内国勧業博・妙技賞,同33年パリ万国博・名誉大賞など内外の博覧会で活躍した。また宮内省御用に従事し,同29年帝室技芸員,同30年東京美術学校(東京芸大)教授となる。一朝は,幸阿弥派を正しく伝えた最後の蒔絵師で,代表作に10年を費やして完成した御物「菊蒔絵螺鈿御書棚」がある。東京烏山の妙高寺に葬られる。<参考文献>荒川浩和・内田篤呉『近代日本の漆工芸』,東京府勧業課編『東京名工鑑』

(内田篤呉)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

かわのべいっちょう【川之辺一朝】

1830~1910) 幕末・明治期の蒔絵まきえ師。江戸生まれ。幸阿弥派の伝統的な蒔絵を継承した。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

川之辺一朝
かわのべいっちょう
(1830―1910)

江戸末期から明治に活躍した蒔絵師(まきえし)。幼名源二郎、のち平右衛門を襲名。江戸・浅草永住町に生まれ、12歳のころから徳川家蒔絵所幸阿弥因幡(こうあみいなば)の仕手頭(してかしら)、武井藤助について修業し、1850年(嘉永3)自立して一朝と号し、2年ののち徳川家蒔絵方となる。87年(明治20)皇居造営に際して学問所や広間鏡板に蒔絵を施工し、とくに97年から6年間の歳月を費やして完成した菊蒔絵書棚(宮内庁)は有名。96年帝室技芸員となる。一方、94年に東京美術学校蒔絵科の嘱託教員、97年教授に任ぜられ後進の指導にあたったが、1905年(明治38)病気により辞した。作風は、堅実な写生に基づいた意匠を入念な技術によって金色燦然(さんぜん)と表し、いわゆる大名物としての格調高く、幸阿弥派最後の名手として、当時の漆芸界に重きをなした。[郷家忠臣]

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世界大百科事典内の川之辺一朝の言及

【幸阿弥家】より

…彼の活躍した元禄期は,蒔絵史上,常憲院(綱吉の院号)時代といい,精巧さ,豪華さにおいて,複雑な蒔絵技巧の頂点を示し,その作品は注文先の諸大名へ多数行き渡った。以後19代長賢まで幕府に仕え,幸阿弥蒔絵の伝統は,明治時代,川之辺一朝(1830‐1910)に受け継がれた。蒔絵【郷家 忠臣】。…

【蒔絵】より


[近代以後]
 明治維新によって主を失った御用蒔絵師は活躍の場もなく貧困にあえいだが,逆境に抗して蒔絵の伝統を守った。幕末から明治にかけては柴田是真,中山胡民(1808‐70)らが,明治になって川之辺一朝(1830‐1910),白山松哉(1853‐1923),小川松民(1847‐91)らの名工が出た。1889年には東京美術学校が開校し,漆工科が設けられ,その門から六角紫水らが輩出し,以後漆芸界の指導的立場を担った。…

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