川島忠之助(読み)カワシマ チュウノスケ

20世紀日本人名事典 「川島忠之助」の解説

川島 忠之助
カワシマ チュウノスケ

明治期の翻訳家,銀行家



生年
嘉永6年5月3日(1853年)

没年
昭和13(1938)年7月14日

出身地
江戸本所

経歴
横須賀製鉄所の伝習生としてフランス語を修め、富岡製糸場通訳を勤める。のち横浜オランダ八番館の番頭になり、明治9年ヨーロッパへ蚕印紙売込みの使節団の通訳として渡欧、帰国後、正金銀行副支配人となり、ボンベイ支店長、東京支店長などの要職歴任、銀行家として活躍した。一方でジュール・ヴェルヌの「八十日間世界一周」を翻訳、フランス文学をフランス語原書から訳出した本邦最初のものとして日本読書界に大きな波紋を投げかける。他にヴェルニー「虚無党退治奇談」などを刊行

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「川島忠之助」の意味・わかりやすい解説

川島忠之助
かわしまちゅうのすけ
(1853―1938)

翻訳家、銀行家。江戸に幕府役人の子として生まれる。幕府瓦解(がかい)後、横須賀製鉄所製図見習工となりフランス語を修め、富岡製糸場の通訳、横浜和蘭(オランダ)八番館番頭となる。蚕糸売込みの使節の通訳として渡欧後、翻訳に着手し、1878年(明治11)6月、本邦初のフランス文学原典訳、ジュール・ベルヌの『新説八十日間世界一周』前編を自費出版し、ベルヌ・ブームを導く。80年6月後編刊行。82年9月ポール・ベルニエ『虚無党退治奇談』翻訳。この年横浜正金銀行に入り、のち重役となる。墓所は東京・青山霊園

富田 仁]

『柳田泉著『明治初期翻訳文学の研究』(1959・春秋社)』

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百科事典マイペディア 「川島忠之助」の意味・わかりやすい解説

川島忠之助【かわしまちゅうのすけ】

翻訳家,銀行家。江戸生れ。製図工見習いとして,横須賀製鉄所(のちの海軍造船所)に入り,フランス語を修める。国内外で通訳などを務めた後,横浜正金銀行に入り,以後銀行家として活躍。この間ジュール・ベルヌの《新説 八十日間世界一周》をフランス語原典から翻訳し(前編1878年,後編1880年),その後のベルヌ・ブームに先鞭を付けた。他にベルニーの《虚無党退治奇談》(1882年)など。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「川島忠之助」の解説

川島忠之助 かわしま-ちゅうのすけ

1853-1938 明治時代の翻訳家,銀行家。
嘉永(かえい)6年5月3日生まれ。川島順平の父。横須賀製鉄所にはいり,フランス語と英語をまなぶ。富岡製糸場の通訳,横浜の蘭八番館番頭などをつとめる。明治11年(1878)日本初のフランス小説の翻訳のベルヌ「新説八十日間世界一周」を出版。15年横浜正金銀行にはいり,のち重役となった。昭和13年7月14日死去。86歳。江戸出身。

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367日誕生日大事典 「川島忠之助」の解説

川島 忠之助 (かわしま ちゅうのすけ)

生年月日:1853年5月3日
明治時代の翻訳家;銀行家
1938年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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