日本歴史地名大系 「川道神社」の解説 川道神社かわみちじんじや 滋賀県:東浅井郡びわ町河道村川道神社[現在地名]びわ町川道川道集落の東部に鎮座。旧郷社。祭神は大物主(おおものぬし)命・天照(あまてらす)皇大神・豊受(とようけ)大神・大山咋(おおやまくい)命で、境内社に若一王子(ないこうじ)神社・稲荷神社・川道忠魂(かわみちちゆうこん)社がある。「延喜式」神名帳にみえる浅井(あざい)郡「上許曾(カミコソノ)神社」に比定する説があり、社伝によれば、和銅年間(七〇八―七一五)の創建と伝える。もとは神明社と青龍寺(現真言宗豊山派千手院)鎮守の八王子社に分れていたが、明治三年(一八七〇)両社を合せて川道神社となった。延元年中(一三三六―四〇)足利尊氏が戦勝を祈願して武器等を寄進しており、文和年中(一三五二―五六)には千手(せんじゆ)院の僧覚誉が社殿を再興、永正年間(一五〇四―二一)には浅井氏が当社を崇敬し、神領も寄進したとされる。浅井氏滅亡ののちは氏子らが再建、江戸時代には宮川藩堀田家の祈願所となり、寛政一二年(一八〇〇)、享和年間(一八〇一―〇四)には社殿の改修がなされたという。例祭は四月一七日。〈近江・若狭・越前寺院神社大事典〉〔川道のオコナイ〕川道神社で行われる年頭の大行事。米四斗(一俵)の大鏡餅を作ることで知られ、昭和三六年(一九六一)以降改革されて簡略化しているが、それでも湖北における最大規模のオコナイで、地元ではこれが終わると春が来るという。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by