工町(読み)たくみまち

日本歴史地名大系 「工町」の解説

工町
たくみまち

[現在地名]甲府市中央ちゆうおう三丁目・同五丁目・城東じようとう一―二丁目

穴山あなやま町二―四丁目の東に並行する南北通りの町人地で、下府中二三町の一町。さん土居内どいない町では東端に位置する。北は山田ようだ町三丁目の東境から南は下連雀しもれんじやく町二丁目の東境までで、この間八日ようか町・三日みつか町の各通りと交差して一丁目・二丁目・三丁目となり、また東の三ノ堀との間にそれぞれ横町がある。町名は檜物職人の居住に由来し、寛文四年(一六六四)の府中諸職人改帳(県立図書館蔵)にみえる。享和三年(一八〇三)の小間数書上帳(同館蔵)によると東側一九一間余・西側一一四間余、東側は横町を含む間数であろう。役引七町の一つで、甲府藩の時代には城下の檜物師役引屋敷五七軒のうち五六軒が当町にあり、一軒に一人、一年に二四人ずつ檜物御用を勤め、一日に一人米七合五勺の扶持のほか木代と塗物も申付けられた場合は漆代も支給されていた(享保九年「甲府町方並寺社諸品申送帳」若尾資料)

工町
たくみまち

[現在地名]高松市鶴屋町つるやまち本町ほんまち丸の内まるのうち

高松城外曲輪東部の町人町うち町五町の一。北は本町、南は内町武家屋敷、西は上横かみよこ町、東は鶴屋町東西約六〇間の通りに面する両側町で、南北四〇間(天保一五年城下図)。生駒氏時代屋敷割図には「たたみや町」とあり、工町の初見は享保年間(一七一六―三六)の城下図である。寛保二年(一七四二)一二月八日「工匠肆たくみまち火、延及倉廩おくら、焚嘉穀」(続々讃岐国大日記)、「高松城内大火、作事所及材木庫七所・倉廩九所・米二万九千七百苞並灰尽」(増補高松藩記)という火災があった。内曲輪東の三の丸御門を入ると、作事場・御材木蔵、その北に御米蔵があるが、火勢は当町に発して上横町・下横町を経て城内に及び、御米蔵まで焼失したようである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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