植物学者。若狭(わかさ)国(福井県)生まれ。藩校で学びながら塾に通って絵画を学び、16歳で藩校の図画術教授補助に任命された。翌年東京に出て油絵を学び、1875年(明治8)帰郷、岐阜中学校に勤務、かたわら『小学用器画法』(1888)ほか図画教科書を著した。1888年、東京の帝国大学理科大学に画工として雇われ、1893年助手となり、教授矢田部良吉の植物図を描いた。1896年にイチョウの花粉内に可動性の精子を発見、ソテツに同じく精子を発見した池野成一郎とともに帝国学士院恩賜賞を受けた(1912)。帝国大学を退職後、滋賀県の彦根(ひこね)中学校、京都の花園中学校に勤務した。
[佐藤七郎]
(湯浅明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
画家,植物学者。越前(福井県)出身。岐阜中学図画教師から帝国大学理科大学に画工として雇われ,植物図を描きながらみずから顕微鏡標本を作製,観察を深め,イチョウ精子を発見した(1896)。同年の池野成一郎のソテツ精子の発見とともに,近代生物学上における日本の初の貢献であった。しかしその翌年(1897)大学を辞した。1911年,池野とともに帝国学士院から恩賜賞をうけた。
執筆者:佐藤 七郎
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出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…日本の植物形態学の先駆者。ソテツの精子を発見し(1896),平瀬作五郎のイチョウ精子発見とともに帝国学士院恩賜賞をうけた。《植物系統学》(1906)の著は日本の植物学に大きく貢献した。…
…また漢方では白果(はくか)と呼ばれ,薬用とされる。 1896年,平瀬作五郎が種子植物として,はじめてイチョウの精子を発見したのは植物学史上有名である。イチョウ類の祖型は古生代末に出現したトリコピチスTrichopitysといわれる。…
…裸子植物の花粉は胚珠にもたらされてから数ヵ月間は花粉室にとどまり,やがて花粉管を伸ばす。裸子植物のうち,イチョウやソテツの花粉管に精子が形成されることを最初に確かめたのはそれぞれ平瀬作五郎と池野成一郎で,これは明治時代における日本の植物学が世界的な発見をした最初のものであった。 花粉は自分では運動しないから,何かの力に媒介されて移動する。…
…そのころ,ヨーロッパの古生代末期の地層からシダ状の葉,ソテツ状の幹や種子の化石が相伴って産出することが知られはじめ,シダ植物と裸子植物の類縁性が問題になり,シダとソテツの中間的植物があったのではないかと考えられるようになった。この考えは平瀬作五郎(1896),池野成一郎(1896)によるイチョウとソテツの精子の発見により支持され,ポトニエH.Potoniéはソテツシダ類の存在を推定した(1899)。その存在をシダ種子類として実証したのが,オリバーF.W.OliverとスコットD.H.Scott(1903)である。…
※「平瀬作五郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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