日本大百科全書(ニッポニカ) 「広告写真」の意味・わかりやすい解説
広告写真
こうこくしゃしん
商業写真、コマーシャル・フォトともいう。広告主の要望に即して、商品そのものの様態や商品に関連するイメージを、写真画像として消費者に提示するために制作される。実際には商品名や広告メッセージを託されたことば(コピー)と組み合わせてデザインされ、イラストレーション(図解)としての役割をもつものが多い。出版物やポスターなど印刷媒体を介した現代の広告表現では、圧倒的に写真が使われているが、これは写真が具体的で直接的な訴求力をもっているからである。のみならずテレビ広告とともに、今日の広告写真は、現代風俗の動向を象徴的に代弁する文化的現象にもなっている。
[重森弘淹・平木 収]
広告写真の歴史
いつ発生したかはつまびらかではないが、網版印刷が発明され、新聞に直接写真印刷が可能となった1900年ごろであることは間違いない。しかし1893年、その前年に創刊されたアメリカの『ボーグ』誌に初めてファッション写真が掲載されたといわれる。また1910年ごろに発行されたと推定される『ジョーンズ写真百科事典』には、すでに広告写真の活発な需要のあったことが記載されている。しかし本格的な展開は写真がデザインと結び付く20年代で、写真と活字で有機的に構成されたタイポフォトグラフィの出現で、ポスターやエディトリアルなどの宣伝、広告表現が画期的に進歩することになった。この時期、フォトグラムやフォトモンタージュなどの新しい写真技法も盛んに広告写真に用いられた。第二次世界大戦後は、グラフ・ジャーナリズムの目覚ましい発達と、激烈な企業の宣伝、広告時代を迎えて、アメリカを中心に広告写真も大いに進歩した。
日本では1884年(明治17)、早くも写真家小川一真(かずまさ)(1860―1929)の勧めで、岩谷商会が天狗煙草(てんぐたばこ)の宣伝に「一丈六尺」(約4.8メートル)のガラス製広告塔を銀座の店頭に製作している。また明治の後半になるとビール広告のために芸者のポートレートが使われ、1922年(大正11)には河口写真館作製の赤玉ポートワインのポスターが出現した。30年(昭和5)には朝日新聞社主催第1回国際広告写真展が開かれ、中山岩太(いわた)が福助足袋(たび)で一等賞となっている。第二次世界大戦後も60年代に入ると高度成長時代を迎えて一挙に発展する。とくに早崎治(おさむ)(1933―93)による東京オリンピックのポスターは、日本の広告写真の高い水準を物語る作品となった。それに続いて横須賀功光(よこすかのりあき)(1937―2003)や操上和美(くりがみかずみ)(1936― )らが斬新(ざんしん)な感覚の作品を数多く制作した。なお1958年には日本広告写真家協会(APA)が結成された。
[重森弘淹・平木 収]
広告写真の分野
広告写真は、おもに以下の五つの分野がある。
(1)インダストリアル・フォトindustrial photo(産業広告写真) 主として企業活動の広報として使われる。
(2)スチル・ライフstill life 商品写真で、商品の具体的な紹介が目的。
(3)テーブル・トップtable-top 卓上に商品を置き静物構成風に撮ったもの。
(4)フード・イラスト 食品広告写真で、料理写真とは異なる。
(5)ファッション 繊維の材質や、具体的なモードをみせるのが目的。
このほか、カレンダー、ポスター、カタログ、折込広告などのメディアにそれぞれ使われている。また広告写真家にはフリーランスと、広告代理店あるいは広告制作プロダクションに所属する者との二つのタイプが存在する。
[重森弘淹・平木 収]
『重森弘淹著『広告写真を考える』(1964・誠文堂新光社)』▽『第一アートセンター編『日本写真全集11 コマーシャルフォト』(1986・小学館)』▽『伏見文男編著『日本の広告写真100年史』(1986・講談社)』▽『後藤繁雄著『東京広告写真』(1994・リトル・モア)』▽『日本広告写真家協会監修『年鑑 日本の広告写真 2002』(2001・ピエ・ブックス)』