デジタル大辞泉
「広島東洋カープ」の意味・読み・例文・類語
ひろしま‐とうようカープ〔‐トウヤウ‐〕【広島東洋カープ】
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広島東洋カープ
被爆地・広島の復興の象徴として誕生し、1950年にセ・リーグに参入した「市民球団」。球団が経営危機に陥った際には、市民らが日本酒のたるで資金を集める「たる募金」で支えた。75年、古葉竹識監督の下で初のリーグ優勝。今年、91年以来となる25年ぶり7度目のリーグ優勝を果たした。マツダスタジアムが2009年に本拠地としてオープンし、家族連れや「カープ女子」と言われる女性ファンも多く訪れている。
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広島東洋カープ
ひろしまとうようかーぷ
日本のプロ野球球団。セントラル・リーグ(セ・リーグ)所属。欧文表記はHiroshima Toyo Carp。フランチャイズを広島県に置き、広島市民球場を本拠地としている。球団名の変遷は、広島カープ(1950年)―広島東洋カープ(1968年)。
2リーグ分立の1950年(昭和25)に発足したが、長い間、下位に低迷した。1960年代後半から登場した投打の主力、ノーヒットノーランを3回達成した外木場義郎(そとこばよしろう)(1945― )、2215試合連続出場の金字塔を打ち立てた「鉄人」衣笠祥雄(きぬがささちお)、4回本塁打王に輝いた山本浩二らが1970年代に入って本格的に才能を開花させ、1975年、シーズン途中から指揮をとった古葉竹識(こばたけし)(1936―2021)監督の下に球団史上初のリーグ優勝を果たした。さらに、抜群の制球力を誇った北別府学(きたべっぷまなぶ)(1957―2023)や、俊足好打の高橋慶彦(よしひこ)(1957― )ら若い力が加わり、1979年と1980年にも連続リーグ優勝。両年とも日本シリーズで近鉄バファローズを下して日本一となり、赤いヘルメットが塁間をかけめぐる姿から「赤ヘル旋風」といわれた。主力が円熟期を迎えた1984年にも阪急ブレーブス(現、オリックス・バファローズ)を破り3回目の日本一。1986年にもリーグ優勝して日本シリーズでは西武ライオンズ(現、埼玉西武ライオンズ)と対戦し、引分け1を含め8試合を行う激戦となったが、日本一は逃した。この年限りで山本が引退し、翌1987年には衣笠も引退した。その後、野村謙二郎(1966― )、江藤智(あきら)(1970― )、前田智徳(とものり)(1971― )ら好打者が続々と台頭し、1989年(平成1)に就任した山本浩二監督3年目の1991年にリーグ優勝。しかし日本シリーズではまたも西武に敗れた。それ以降は、1995年の2位を最高に低迷、1998年から2007年(平成19)まで4位以下が続いた。12球団中唯一、親会社をもたない純粋な市民球団であるがために資金的な問題があり、戦力の維持・補強の面などにおいて他球団にない側面を有している。
[山下 健]
2007年までの通算成績は、3515勝3859敗296分け、リーグ優勝6回、日本シリーズ優勝3回。
[編集部]
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知恵蔵
「広島東洋カープ」の解説
広島東洋カープ
日本のプロ野球球団。セントラル・リーグに所属する。保護地域は広島県で、1軍の本拠地球場は、広島市南区にあるMAZDA Zoom-Zoom スタジアム 広島(略称:マツダ スタジアム)。二軍の本拠地球場は、山口県岩国市にある広島東洋カープ由宇練習場。これまで3度の日本一、7度のリーグ優勝に輝く。2016年9月時点での監督は緒方孝市。運営母体は自動車会社マツダの創業者一族である松田家で、オーナーは松田元。
1949年に、「広島カープ」として創設。本拠地は広島総合球場(現:広島県総合グランド野球場)。創設からしばらくの間は十分な資金がなく、球団を支える核となる企業もなかったため、苦しいチーム運営が続く。そのため広島県内から広く出資・募金を求めたりした。55年に東洋工業(現・マツダ)、広島電鉄、中国新聞社などが出資する株式会社広島カープが設立され、運営母体となる。57年に本拠地球場が広島市民球場に。68年に東洋工業が筆頭株主となり、球団名を「広島東洋カープ」に改称。
75年にセ・リーグ初優勝。この年から赤色の帽子・ヘルメットを着用するようになり、「赤ヘル」はカープの代名詞となった。79年に2度目のセ・リーグ制覇。日本シリーズにも勝利して、初の日本一に輝く。80年も連覇して、3度目のリーグ優勝を達成。2年連続の日本一となる。84年には4度目のリーグ優勝、3度目の日本一に輝く。86年には5度目のリーグ優勝を成し遂げる。このように75年のセ・リーグ初優勝から12年の間に、5度のリーグ制覇、3度の日本一を成し遂げ、カープは黄金期を迎えた。しかし91年に6度目のリーグ制覇を達成した後、チームは優勝から長く遠ざかることになる。
94年は3位、95年は2位、96年は3位、97年は3位と4年連続のAクラス(3位以上)になったが、98年から2012年まで15年連続Bクラス(4位以下)に低迷した。09年に本拠地をマツダスタジアムに変更。13年に16年ぶりのAクラスとなる3位に、14年も3位となって2年連続してクライマックスシリーズに進出したが、いずれも敗退して日本シリーズには進めなかった。しかしこの躍進によって観客数が大きく伸び、14年には主催試合で190万4781人を動員して、史上初となる190万人を突破した。それには球場へと足を運ぶ女性ファンの増加が大きく寄与しており、レプリカユニホームなどの赤色の衣装をまとってカープを応援する女性ファンのことを「カープ女子」と呼ぶようになった。なおこの「カープ女子」という言葉は、14年の「ユーキャン新語・流行語大賞」(現代用語の基礎知識選)でトップテンに選ばれている。
16年は快調に勝ち星を積み重ね、8月24日に25年ぶりとなる優勝マジック20が点灯する。そして9月10日に、25年ぶり7度目となるセ・リーグ制覇を成し遂げた。なおリーグ優勝を決めた東京ドームでの巨人戦を放送(19:30~)していたNHK総合テレビ広島地区の視聴率は、平均で60.3%、瞬間最高は71.0%を記録する高視聴率となった(いずれもビデオリサーチ調べ)。
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広島東洋カープ
広島県を保護地域とする日本のプロ野球球団。セントラル・リーグ所属。本拠地はMazda Zoom-Zoom スタジアム広島。自動車会社のマツダ(旧・東洋工業)をメインスポンサーとし、マツダ創設者の松田家が経営権を持つ。チームカラーは赤。球団名の「カープ」は、広島市内を流れる太田川の名産である鯉と、第二次世界大戦時に原爆で焼け落ちた広島城の別名「鯉城」からとられた。1949年、前身組織となる「広島野球倶楽部」を設立。同年に日本野球連盟への加盟申請を受理され、球団名を「広島カープ」とする。 68年、東洋工業の社長が筆頭株主となり、球団名を現在の「広島東洋カープ」に改称。75年にリーグ初優勝を果たし、79年に2度目の優勝を達成。80年にはリーグ優勝と日本一の2連覇を成し遂げ、91年のリーグ優勝までの12年間に山本浩二、衣笠幸雄などの名選手を数多く輩出した。98年以降は長く低迷が続いたが、2013年、16年ぶりに上位入りを果たし、球団初のクライマックスシリーズ進出を決めた。
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広島東洋カープ
日本プロ野球、セントラル・リーグに所属する球団のひとつ。1950年発足。広島県をフランチャイズとする。
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広島東洋カープ
carp=鯉(広島城の別名“鯉城”、太田川名産で出世の象徴の鯉、「鯉の滝のぼり」)
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
世界大百科事典(旧版)内の広島東洋カープの言及
【セントラル・リーグ】より
…1997年現在,加盟チームおよび本拠地球場は次のとおりである。読売ジャイアンツ(巨人)(東京ドーム),ヤクルト・スワローズ(神宮球場),横浜ベイスターズ(横浜スタジアム),中日ドラゴンズ(ナゴヤドーム),阪神タイガース(甲子園球場),広島東洋カープ(広島市民球場)。【菅谷 斉】。…
※「広島東洋カープ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」