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府藩県三治制 ふはんけんさんちせい

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

府藩県三治制
ふはんけんさんちせい

明治初期の地方統治制度。新政府成立によっても従来の藩は暫定的にそのまま存続したが,旧幕府直轄領については,初め鎮台,次いで裁判所の名称が付され,慶応4 (1868) 年閏4月「政体書」が公布されて裁判所はさらに府および県と改称され,江戸府など主要な9地方が府の名称を与えられ,府,藩,県の三治制となった。明治2 (69) 年6月の版籍奉還では,従来の藩主は知藩事となり,次いで7月,府は東京,大阪,京都だけで,他は藩および県とされ,同4年7月の廃藩置県に及び3府 302県となったが,その後3府 43県に整理された。府,県の職制は,知事,大参事,小参事,大属,少属,史生などであって,版籍奉還後は藩の職制もこれにならって改称された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ふはんけんさんちせい【府藩県三治制】

明治維新から廃藩置県までの間の地方制度。1868年(明治1)1月10日政府は幕領没収の布告を出し幕領は朝廷領となり,幕府代官にかわって朝廷の地方官が支配にあたった。同年閏4月の太政官布告政体書によって,地方は府・藩・県に分けられ,藩は旧来のまま,府県は政府の直轄とし知事をおいた。府県は幕府直轄地,皇室領,社寺領,佐幕諸藩の接収領である。廃藩置県直前の府・藩・県の数は,府3,県40,藩261で,全国3000万石の石高中,府県は800万石にすぎなかった。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

府藩県三治制
ふはんけんさんちせい

明治初年の地方統治制度。1868年(明治1)閏(うるう)4月の政体書により、地方統治は府藩県の三治制とし、旧幕府直轄地を府と県に分けて知事、判事を置き、藩は従来どおり諸侯に統治させた。政府は府藩県の不統一の是正を図り、藩に対しては68年10月の「藩治職制」、69年6月の「諸務変革令」、同年7月の「職員令(しきいんりょう)」の藩の規定、70年9月の「藩制」などでその画一化を進めた。また府県には、69年2月の「府県施政順序」、同年7月の「府県奉職規制」や「職員令」の府県の規定などにより整備に努め、府藩県三治一致を促進した。71年7月の廃藩置県によって府県二治制となり、三府302県、同年11月には三府72県となる。[原口 清]

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