明治維新当初の政治組織(政体)をうたった布告書。1868年(明治1)閏4月21日に公布,27日に頒布された。参与福岡孝弟,同副島種臣らが《令義解》《職原抄》《雲上明覧》《大武鑑》や《文献通考》(馬端臨著),《西洋事情》(福沢諭吉著)および《聯邦志略》(ブリジメン著)等の諸文献を参考にして,政府組織の大綱を起案したもの。その太政官布告は〈去冬皇政維新,纔ニ三職ヲ置キ,続テ八局ヲ設ケ,事務ヲ分課スト雖ドモ,兵馬倉卒之間,事業未ダ恢弘セズ。故ニ今般御誓文ヲ以テ目的トシ,政体職制被相改候ハ,徒ニ変更ヲ好ムニ非ズ,従前未定之制度規律次第ニ相立候訳ニテ,更ニ前後異趣ニ無之候間,内外百官此旨ヲ奉体シ,確定守持根拠スル所有テ疑惑スルナク,各其職掌ヲ尽シ,万民保全之道,開成永続センヲ要スルナリ〉という。かくして政体書は冒頭に五ヵ条の誓文をあげ,続く政治綱領では,太政官への権力の集中,三権の分立,議事の制によって〈輿論公議〉をとること,〈上下隔絶ノ弊〉をなくすること,官吏の4年交代とその公選,〈諸侯以下農・工・商〉による〈貢献ノ制〉,府・藩・県への政令の施行などをうたい,〈小権ヲ以テ大権ヲ犯シ,政体ヲ紊ルベカラザル〉ことを強調している。ついで官制では,議政官(立法),行政,神祇,会計,軍務,外国の5官(行政)および刑法官(司法)の7官を規定して,輔相以下の諸職には三条実美,岩倉具視以下公家,有力大名,実力者諸藩士を任命し,また公議機関には貢士対策所,公議所等の創設を定め,地方は府・藩・県の三治制とし,府・県には知事,判事をおき,藩は諸侯が従来どおり支配するとしていた。この政体書のねらいは中央集権制と公議輿論政治にあったが,必ずしも三権分立の実はあがらず,公選制も1回きりで終わり,この政体書の官制は69年(明治2)7月8日の官制改革で神祇官,太政官を中心とする官制へと大幅に変えられた。
執筆者:田中 彰
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1868年(明治1)閏(うるう)4月21日に新政府が発表、27日頒布した政治組織ならびに綱領を記したもの。冒頭に五か条の誓文、次に政治綱領で、権力はすべて太政官(だじょうかん)に集中すること、三権分立主義をとること、官吏交代の公選制などが述べられている。ついで官職規定があり、議政(ぎせい)、行政、神祇(じんぎ)、会計、軍務、外国、刑法の七官を定め、議政官は立法府とし、行政官の長官たる輔相(ほしょう)には三条実美(さねとみ)、岩倉具視(ともみ)の有力者がついた。地方制度は府・藩・県の三治制と定めている。また官位等級は一等から九等まで規定。起草者は副島種臣(そえじまたねおみ)、福岡孝弟(たかちか)で、アメリカ合衆国憲法、『聯邦志略(れんぽうしりゃく)』『令義解(りょうのぎげ)』など内外のものを参考とした。69年7月まで政体書に基づく政治が続くが、標榜(ひょうぼう)した三権分立は不徹底であった。
[佐々木克]
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明治新政府の政治組織を定めた布告。1868年(明治元)閏4月21日公布。「令義解(りょうのぎげ)」「職原抄」「西洋事情」「聯邦志略」「万国公法」など古今東西の諸書を参考に,参与福岡孝弟(たかちか)と同副島種臣(そえじまたねおみ)によって起草された。冒頭に五カ条の誓文を掲げてその趣旨にもとづくことを明示し,続いて政体の綱領をあげて,太政官への権力集中,三権分立,人材の登用,各府藩県からの貢士(こうし)を議員とする議会の設置,官吏の4年任期と公選制などを規定した。さらに官職・官等の具体的規定を設け,太政官を7官にわけて,議政官を立法機関に,行政・神祇・会計・軍務・外国の5官を行政機関として行政官の統轄とし,刑法官を司法機関とし,地方制度は府藩県三治制とした。政体書にみられる三権分立と公議制の規定は必ずしも実効は上がらず,官吏公選制も1度行われたにすぎなかったが,維新直後の政治理念を示した意義は大きい。69年7月8日の官制改革で中央官制は二官六省制に変更され,神祇官・太政官を中心とする官制となった。
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…イギリスは,(2)(3)の意味での形式的憲法を持たない例として有名であるが,(1)についていえば,マグナ・カルタ(1215)以来,実質的意味の憲法を定める成文法が少なからずあることに,注意しなければならない。イギリスでも,17世紀ピューリタン革命の過程で,(2)(3)の意味での憲法をつくる構想があり(1653年の〈政体書〉や,1647‐49年に平等派により提起された三つの〈人民協定〉),自国では展開しなかった,成文・成典の硬性憲法というあり方は,アメリカ革命,フランス革命の諸憲法によって引き継がれることとなった。市民革命期の思想が,形式的意味の憲法を重視したことには,きわめて大きな実質的・歴史的意義があった。…
…これは〈公議〉と〈天皇〉とのセットによって,新しい権力支配の拡大と天皇への権力集中を企図していた。その制度化は68年閏4月21日の政体書で表明されたが,参与福岡孝弟(たかちか)(土佐藩)・同副島種臣(肥前藩)が起草し,日本の古典と《聯邦志略》(アメリカ,ブリッジマン著)や《万国公法》(同,ホイートン著),あるいは福沢諭吉の《西洋事情》などを参酌したものである。以後,それは議政官における上局や下局,徴士や貢士,あるいは下局を改称した貢士対策所,貢士の系譜をひく公務人や公議人,さらに公議所,待詔局,集議院などの公議機関となり,69年5月には,三等官以上の選挙で輔相・議定・参与以下が選ばれたりした。…
※「政体書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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