明治維新期における地方長官の一つ。1869年(明治2)6月の版籍奉還後藩におかれた長官で,旧藩主がそのまま任命された。政治的配慮から,この時点では知藩事職は世襲とされ,旧権限はそのままひきつがれた。その後の段階的な藩解体策によって,知藩事の家禄は旧藩の実収石高の10分の1とされて知藩事個人の家計と藩財政の分離がすすめられたほか,種々の職制・禄制・兵制改革が強制されて,知藩事は中央政府の統轄下におかれた地方官へと変化させられていった。しかし,知藩事は従来どおり藩兵を管理し,藩内の裁判を統轄し,財政的にも中央からの独立性を保っており,封建領主的性格を残存していた。71年7月の廃藩置県によって藩が廃せられるとともに知藩事は解任され,東京在住を命じられたが,封禄と華族の地位は保証された。県は同年11月72県に統合され,太政官から任命された県令が地方官として赴任していった。
執筆者:大島 美津子
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明治初年の地方官。1869年(明治2)6月17日、薩長土肥(さっちょうどひ)四藩主の建白を受けた維新政府は版籍奉還を断行、旧藩主をそれぞれ知藩事に任命し、公卿(くぎょう)諸侯の称を廃して華族とした。ついで通達された諸務変革により、旧藩主に比べ、知藩事の権限は縮小された。現石の10分の1が知藩事の家禄(かろく)とされ、藩の石高(こくだか)、物産、税制、兵員、人口などの報告が義務づけられた。さらに70年9月藩制が布達されて、藩組織、財政が画一化され、刑罰の報告が義務づけられ、知藩事朝集は3年に一度、滞京3か月とされた。71年7月14日、廃藩置県が断行されると、知藩事は廃されて東京在住が命じられ、かわりに官僚たる知事(府)、県令(県)が置かれた。
[井上 勲]
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明治初期の地方長官の職名。1869年(明治2)6月17日の版籍奉還後,明治政府は旧封地の藩主を知藩事に任命し,従来どおり藩内の行政や藩兵の管理を行わせた。しかし政府任命の行政官となったことにともなって,同月25日の改革によって家禄が封地実収石高の10分の1と定められ,重職の進退には奏請が必要とされた。廃藩置県とともに廃止され,旧藩主らは東京貫属を命じられた。藩名を冠するときは藩知事とよぶ。
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…1868年(明治1)の政体書によって直轄府県に知府事・知県事をおいたのに始まる。版籍奉還後は藩主をそのまま地方官とし知藩事と称した。71年の廃藩置県によって藩が廃止され全国が府県に編成されて以後,府の長官は府知事,県の長官は県令と称され,その任免権は太政官がにぎった。…
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