知藩事(読み)ちはんじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

知藩事
ちはんじ

明治新政府の官職名。明治2 (1869) 年6月 17日の版籍奉還の結果,これまでの主はすべて明治新政府によって知事に任命された。その新職名を知藩事といった (藩名を冠するときは何々藩知事という) 。知藩事の職責は,所轄藩内の人口,戸籍,社寺を司り,租税を収めさせ,刑罰権を有し,藩兵を管理するなどであった。なお,知藩事の禄高は,同3年9月の禄制整理により,封地実収高の 10分の1に減らされた。同4年7月 14日廃藩置県とともに廃止され,以後は政府の任命する県知事が行政にあたり,旧知藩事はすべて東京に在任を命じられた。

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百科事典マイペディアの解説

知藩事【ちはんじ】

1869年(明治2年)版籍奉還後,旧藩主をそのまま旧藩領支配官として任命した職名。藩名を冠する場合は〈…藩知事〉と呼ぶ。翌年の改革で知藩事の家禄は封地実収石高の10分の1とされ,知藩事個人の家計と藩財政が分離され,中央政府の統括下の地方官へと変えられていった。1871年の廃藩置県により解任されたが,封禄と華族の地位は保障された。

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世界大百科事典 第2版の解説

ちはんじ【知藩事】

明治維新期における地方長官の一つ。1869年(明治2)6月の版籍奉還後藩におかれた長官で,旧藩主がそのまま任命された。政治的配慮から,この時点では知藩事職は世襲とされ,旧権限はそのままひきつがれた。その後の段階的な藩解体策によって,知藩事の家禄は旧藩の実収石高の10分の1とされて知藩事個人の家計と藩財政の分離がすすめられたほか,種々の職制・禄制・兵制改革が強制されて,知藩事は中央政府の統轄下におかれた地方官へと変化させられていった。

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大辞林 第三版の解説

ちはんじ【知藩事】

1869年(明治2)6月版籍奉還ののち、各藩の旧藩主を政府の地方長官として任命した際の官名。7月に藩知事と改称。71年廃止。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

知藩事
ちはんじ

明治初年の地方官。1869年(明治2)6月17日、薩長土肥(さっちょうどひ)四藩主の建白を受けた維新政府は版籍奉還を断行、旧藩主をそれぞれ知藩事に任命し、公卿(くぎょう)諸侯の称を廃して華族とした。ついで通達された諸務変革により、旧藩主に比べ、知藩事の権限は縮小された。現石の10分の1が知藩事の家禄(かろく)とされ、藩の石高(こくだか)、物産、税制、兵員、人口などの報告が義務づけられた。さらに70年9月藩制が布達されて、藩組織、財政が画一化され、刑罰の報告が義務づけられ、知藩事朝集は3年に一度、滞京3か月とされた。71年7月14日、廃藩置県が断行されると、知藩事は廃されて東京在住が命じられ、かわりに官僚たる知事(府)、県令(県)が置かれた。[井上 勲]

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精選版 日本国語大辞典の解説

ち‐はんじ【知藩事】

〘名〙 明治二年(一八六九)六月一七日、諸侯の版籍奉還の請いを許して、各藩に置いた地方長官。諸侯がこれに任命され、諸行政に当たった。職務は後の県令とほぼ同じであった。藩名をつける時は、たとえば鹿児島藩知事と呼ぶのが通例であった。同年七月八日藩知事と改称された。
※行政官第五百八十‐明治二年(1869)六月二五日「神祇官へ行幸の節知藩事の輩時刻触面の通無遅直に神祇官へ相詰可申候」

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世界大百科事典内の知藩事の言及

【地方官】より

…1868年(明治1)の政体書によって直轄府県に知府事・知県事をおいたのに始まる。版籍奉還後は藩主をそのまま地方官とし知藩事と称した。71年の廃藩置県によって藩が廃止され全国が府県に編成されて以後,府の長官は府知事,県の長官は県令と称され,その任免権は太政官がにぎった。…

※「知藩事」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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