改訂新版 世界大百科事典 「職員令」の意味・わかりやすい解説
職員令 (しょくいんれい)
明治初年の官制改革の一つ。1868年(明治1)の政体書による中央行政機構を根本的に改めて,69年7月に制定された。政体書の内容が急進的であったのに対し,復古の色彩の濃い職員令は,官位職制を主として大宝律令の古制にならっている。太政官は行政官に代わって政府の中枢機関となり,その上に神祇伯を長とする神祇官を置き,大宝律令の二官併存にならった。太政官には左右大臣各1人が置かれ,天皇を補佐し,大政を総理するものとされた。その下には大納言,参議,大弁,少弁,大史,少史が置かれた。また太政官のもとには,卿を長とする民部省,大蔵省,兵部省,刑部省,宮内省,外務省の6省が置かれ,集権的行政機構が樹立された。藩論の動向を反映させるべく設けられた集議院(公議所の改称)は,立法機関の実質を備えなくなり,行政部内の諮問機関にすぎなくなった。下意上達の機関として設置された待詔院(1869年3月12日に設置された待詔局の昇格したもの)も集議院に合併された(8月15日)。この結果,政体書にあった三権分立の理念は抹殺され,この職員令による官制は,行政権中心の制度であった。しかし,この改革も実行の段階で政府部内の対立を引き起こし,71年の官制改革で廃止された。
執筆者:中村 尚美
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報