廓山(読み)かくざん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「廓山」の意味・わかりやすい解説

廓山
かくざん
(1572―1625)

江戸初期の浄土宗の僧。定蓮社正誉(じょうれんじゃしょうよ)と号し、諱(いみな)を一実(いちじつ)という。甲斐(かい)(山梨県)出身で、江戸増上(ぞうじょう)寺第12世存応(ぞんのう)(観智(かんち)国師)のもとで修学し、仏教学、浄土宗学に通達した学僧である。1608年(慶長13)江戸城西丸で行われた日蓮(にちれん)宗との宗論(武城(ぶじょう)問答)では、浄土宗を代表して日経(にちぎょう)(1560―1620)らと対決し勝利を収めた。以後、徳川家康信任を受け、生母於大(おだい)の方(1528―1602。水野氏)の菩提(ぼだい)寺である伝通院(でんずういん)に招かれて中興開山となる。また師の存応とともに、しばしば江戸城、駿府(すんぷ)城に特請されて家康秀忠(ひでただ)に法門を談じた。存応の没後は幕命によって増上寺第13世となった。

[阿川文正 2017年6月20日]

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改訂新版 世界大百科事典 「廓山」の意味・わかりやすい解説

廓山 (かくざん)
生没年:1572-1625(元亀3-寛永2)

江戸初期の浄土宗の学僧。号は定蓮社正誉。甲斐国(山梨県)の出身。増上寺の存応のもとで修学,教義に明るく,弁論に優れていた。1608年(慶長13)11月,江戸城西丸で日蓮宗日経らと宗論をおこない,これに勝って名声をはせた。徳川家康の知遇を受け,家康の生母水野氏(於大の方)の菩提所伝通院が建立されると,その開山として招かれた。しばしば江戸城や駿府城の家康,秀忠の前で法問をおこなっており,12年には家康から《科註法華》を下賜されている。15年(元和1)家康の命で浄土宗法度を起草し,幕府から公認されているが,この法度の成立にあたって目覚ましい活躍をした。存応の没後,その後住を了的と争い,22年増上寺13世となった。翌年後水尾天皇から常紫衣を勅許され,関東浄土宗の指導者としての地位を不動にした。増上寺在住3年,54歳で没した。塔所は増上寺。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「廓山」の解説

廓山 かくざん

1572-1625 織豊-江戸時代前期の僧。
元亀(げんき)3年生まれ。高坂虎綱の次男。浄土宗。甲府の尊体寺で出家,江戸増上寺の存応(ぞんのう)に師事する。徳川家康の知遇をうけて伝通院の中興開山(かいさん)となり,浄土宗諸法度の草案をつくった。元和(げんな)8年増上寺13世。寛永2年8月26日死去。54歳。甲斐(かい)(山梨県)出身。字(あざな)は一実。号は定蓮社正誉。

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世界大百科事典(旧版)内の廓山の言及

【伝通院】より

…翌03年寺地を現在地に移し,壮大な堂塔伽藍を建立した。08年には存応の高弟正誉廓山を中興開山と定め,新設の学寮には増上寺から所化の一部を移した。これより檀林すなわち僧侶の研究・教育機関として活況を呈するようになった。…

※「廓山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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