デジタル大辞泉 「廻」の意味・読み・例文・類語 かい【廻】[漢字項目] [人名用漢字] [音]カイ(クヮイ)(漢) エ(ヱ)(呉) [訓]めぐる まわる〈カイ〉まわる。まわす。かえる。「廻状・廻船・廻転」〈エ〉めぐらす。まわす。めぐる。「廻向えこう/輪廻りんね」[補説]「回」と通用する。[名のり]のり 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
精選版 日本国語大辞典 「廻」の意味・読み・例文・類語 み【廻・回】 〘 造語要素 〙 ( 「みる(廻)」の連用形から ) ぐるっと曲がったような地形をいう語。山裾や海・川、または里・道などの曲がりめぐっているような場所を呼ぶのにいう。「浦み」「隈み」「里み」「裾み」「島み」など。 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
日本歴史地名大系 「廻」の解説 廻めぐり 鹿児島県:姶良郡福山町廻現福山町福山一帯に比定され、その旧名といわれる。大隅国建久図田帳には小河(おがわ)院のうちの国衙領として廻村弟子丸(でしまる)五丁三段大がみえ、田所建部宗房の知行とある。建部宗房は大隅国の在庁官人で、曾野郡(曾於郡)内の国衙領の弟子丸五丁をも知行していた。おそらく弟子丸は宗房の仮名であろう。元亨四年(一三二四)一月二七日の守護狩夫支配状(旧記雑録)に弟子丸五人とみえ、この弟子丸氏は宗房の子孫とされる(諸家大概)。いっぽう山城石清水(いわしみず)八幡宮検校祐清のものとされる譲状(石清水文書)には田中女房(字万歳)へ譲与する地として正宮(大隅正八幡宮)領の廻村が記される。建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)には小河院のうちとして廻六丁がある。弘安一〇年(一二八七)七月の宮侍守公神結番次第(旧記雑録)の九番に廻大和入道の名がみえる。廻氏は治承四年(一一八〇)一一月に源三位頼政の子孫源肥前守宗綱が廻村を与えられて下向し、廻城(仁田尾城)に拠ったことに始まるとされる(福山町郷土誌)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報