日本大百科全書(ニッポニカ)「影絵」の解説
影絵
かげえ
手、切抜き絵、人形、ガラス板に描いた絵などを灯火によって壁、障子、襖(ふすま)、スクリーンなどに映し、シルエットで物の形や芸を楽しむ遊び。手や指をさまざまに組み合わせてイヌ、キツネ、ウサギ、船頭(せんどう)などの形をつくる「手影絵(てかげえ)」は、だれでも簡単にでき、意外な効果を生む、もっとも素朴な遊戯であるだけに、いにしえは幼児教育の手段としても推奨されたが、今日に至ってもなお一般に広く浸透して行われている。
影絵の歴史は、一説には中国・漢の武帝(前156―前87)のころに始まるといわれ、日本でも相当古くから行われていたと思われるが、その起源はさだかではない。しかし江戸時代に入ると、延宝(えんぽう)8年(1680)刊の『洛陽(らくよう)集』や井原西鶴(いはらさいかく)の『西鶴置(おき)土産(みやげ)』『昼夜用心記』などに、影絵は「影人形」の名でみえ、一種の芸として巷間(こうかん)に流行していたことが知られる。また座敷の宴のもて遊びとして、鳥刺しの影絵を障子に映しつつおもしろおかしく鳥刺しの唄(うた)を歌う、いわゆる「座敷影絵」が宝暦(ほうれき)年間(1751~64)ごろに流行したが、のちにはガラスの画板を用い、さまざまの風物を映して楽しむことも行われるようになった。享和(きょうわ)年間(1801~04)には、エキマン鏡という眼鏡を種とし、ビードロ(ガラス板)ヘ彩色の絵を描いて映すくふうがなされ、これを「写(うつ)し絵」と称した。以後、仕掛けがだんだん巧妙になるにしたがい、寄席(よせ)や遊山船(ゆさんぶね)でもしばしば行われるようになったが、これらは幻灯の一種でもあった。夏の風物詩である回り灯籠(どうろう)は影灯籠ともいわれ、江戸中期にはすでに考案されていたといわれる。よく知られているように、内側の筒の切抜き絵が灯火の熱によって回転し、外側の筒にその影絵が映る仕組みであるが、これも影絵の発展した形態であるといえよう。
影絵が劇に発展したものには、1877年(明治10)ころ阿波(あわ)(徳島県)の吉田春之助が創始したといわれる影絵の指人形芝居があったが、今日ではその系統の影絵芝居は廃絶している。
[高山 茂]