江戸時代,幕藩領主の管理下にあった保護林,または占有林の汎称であるが,公称としての御林は幕府の直轄林で,諸国御林帳に登録された保護林をいう。私藩の領主によって制定された御林は,御本山(弘前藩),御直山(秋田藩),御山(盛岡,福岡,小倉,臼杵,熊本の諸藩),御建山(水戸,福井,鳥取,松江,広島,山口,人吉の諸藩),御留山(名古屋,和歌山,高知の諸藩)などといい,あえて御林の称呼を避けるのが普通であった。これら公私の御林は,その制定目的によって(1)林業的な御林と(2)保安林的な御林とに大別される。(1)の御林は17世紀初頭からの略奪的な濫伐によって荒廃に傾いた山林の中での美林,または比較的に林相のすぐれた山林区域を限って一方的に設定されるものである。時期的には近世都市(城下町)の造営がほぼ一段落する17世紀後半に多く成立するが,いずれも自然林資源のいちじるしい減退に対応して,林材の補償と造成を目的とする保護林であった。これに対し,(2)の御林は,治山・治水と環境保全のためのいわゆる保安林であった。私藩御林の大部分は営林事業向きな(1)に属し,幕府の御林はより多く社会公共的な(2)に属した。木材の需要が供給をはるかに上回った初期のころの木曾・伊那山林はもとより,後の飛驒山林や,伊豆の天城山,九州の椎葉山のように優良樹木の蓄積が多く,河川による林材の搬出も容易であった御林では,幕府御用木のほかに営利的な林材生産も行った。しかし,山林の増過伐に原因する洪水その他の被害が,中部から関東地方にまで波及するようになる17世紀末ころから諸国の幕領内に設けられた御林は,荒廃林地の修理回復を目ざす保安林と,土木用材自給目的の山林が優位を占め,とくに先進林業地の畿内地方に増設された御林には(1)に属するものは皆無に等しい状況であった。以上(1),(2)の御林に共通したのは,御林内への領民の無断立入りを許さなかったこと,いったん御林に指定された限りは,立木の伐採その他によって原形の失われた後においても解除されなかったこと,および18世紀からは人工造林に努めるようになったことである。
幕政初期の御林の中には,城塞林や海岸防備林のような軍事目的の優先するものがあり,狩猟用の鷹を保育する目的の鷹の巣山(巣鷹山,巣山)がとくに私藩に多く,鷹狩りの盛時には御林以上に入山者の取締りが厳しかった。また御林なみの保護を受けたものに防風・防砂林や水源林・魚付林,日光道中の杉並木や東海道の松並木,名神大寺の境内林などがあり,別格の御林とも見られるものに,桓武天皇平安遷都以来の皇室御料丹波国山国庄があった。場所や地域を限らない御林の一種には五木・七木などと称し,御林地籍外の有用樹を伐採禁止木に指定する藩が多く,一方においては窮迫財政の緩和手段として,御林の増設または周辺林の囲いこみにより,御林自体の拡大を図るようになるのが一般的な傾向であった。このような増設・増幅林を含めた御林の中には,囲い山・不入山などと称し,林内の下草(肥・飼料)や枯枝(燃料)を採ることも,木の実を拾うことも許さない山もあったが,これらを除いた大部分の御林は,〈御林下草銭,御林運上・冥加〉名目の軽租を利用者側に負担させて下草類の採収を容認した。そのようにして旧来の用益権の一部は認められたにしても,御林地積がしだいに増大することは,それだけ民用林が圧縮されることであったから,これまでその山で生活資材の家作木や薪炭材・肥飼草などを自由に採取してきた領民たちは,狭くなる一方の共用林野の用益慣行をめぐって激しい入会紛争をくり返すようになり,和解または裁決までに数年ないし数十年を要する争議も少なくなかった。
なお,幕府御林の管理経営は勘定奉行に属し,事務は直属の御林奉行が管掌したが,諸国に散在した御林の直接的な管理は現地の代官(郡代)に属した。また幕府に常備された御林台帳は普通に御林帳といい,諸国御林帳,御林個所付帳とも唱えたが,帳面には御林の所在(郷村名),面積をはじめ,樹種・幹周り別の木数,林相・地利,伐木・植樹年次,江戸または市場・港津までの輸送距離までが明細に調記され,所管代官の交替や知行割渡しの際には,御林帳抜差,御普請木伐渡,枯木・根返り,払減木などの添帳によって加除訂正を加え,御林の現況を明らかにして授受されるものであった。この御林帳には別冊の御林絵図が付属し,類似の御林帳や絵図は私藩でも作成されたが,帳簿の名称や記載内容には繁簡異同の差があったのに対し,廃藩置県後の1872年(明治5),新政府が各府県に録上させた統一的な御林帳は,幕府のそれに準じて管内の官林(旧御林)の現況を報告させたもので,これによって現在の国有林の原形が形成された。
執筆者:所 三男
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江戸時代、幕府や諸藩が管理・支配した山林。その設定目的の多くは、土木・建築用材などの林産資源の保続にあったが、森林のもつ水源涵養(かんよう)、土砂扞止(かんし)、防風、飛砂防止機能に着目して、御林とした場合もある。以上の目的に沿って、領主は地元住民に対し、御林内の立ち木のうち、特定の樹種(スギ、ヒノキなど)を限って伐採を禁じたり(明山(あきやま))、立入りを禁止し(留山(とめやま))、また御林を管理・保護する役人(御林守(おはやしもり)、山見、山回りなど)を置いて、違背者の取締りに努めた。幕府領では御林のほか、御山、公儀林とも称し、諸藩においては御林、御山のほか、御留山(熊本)、御本山(おもとやま)(弘前(ひろさき))、御直山(おじきやま)(秋田)、御建(立)山(おたてやま)(広島・松江)、御建(立)林(鳥取・高田)などと称し一定しないが、明治以降、政府はこれら旧領主直轄林のすべてを官林(現在の国有林)に編入した。
[飯岡正毅]
江戸時代,領主が設定した直轄林。藩によっては留山・立山・直山(じきやま)などともよぶが,幕府は御林・公儀林ということが多い。林業活動を目的とするものと,治山治水・砂防などを目的とする保安林に大別できる。後者は,公的社会的機能をもつものとして古くからあったが,幕府は国家公権として公的機能を拡充するなかで御林として編成していったとみられる。前者は,江戸前期,城下町建築の進展にともない山林資源が急激に枯渇化する状況のなかで,領主層が山林資源の獲得や,経済的な効果を念頭に優良林を収公したもの。寛文期を中心に,寛永~享保期に設定され,地元の御林守が管理した。明治期に設定される国有林の大半は,この系譜を引く。
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…官林の前身は近世幕藩の直轄林と村持入会林野のうち,〈官民有区分事業〉の結果官有となった山林である。近世幕藩の直轄林は,御林(おはやし),御山などと呼ばれ,山奉行などの森林管理機関によって,森林造成,伐採,保護などが行われていた。著名な御林には,津軽藩のヒバ林,秋田藩のスギ林,尾張藩の木曾ヒノキ林がある。…
…それが17世紀代ともなると,大名城郭を中心とするいわゆる城下町が一斉に勃興するにつれて,狂乱的な木材需要が各地の山林に殺到したため,17世紀後半に移るころには,都市造営用材の濫採による山林の荒廃は中部,関東の未開発林にまでおよんだ。時の幕府・諸藩はこのような荒林事態に対処して林材の保存と営利を図るべく,自領内の山林に直轄保護林(御林(おはやし))の制定を急ぐと同時に,その御林へは農民の立入りを許さない方針を打ち出すようになる。こういった占有林が漸増するのに加えて,人口増に伴う林野の開墾(農地造成)が全国的に進行するため,これまで農民の共用にゆだねられていた林野の地積は減退を重ねるばかりであった。…
… 森林を存続させ,あるいは育てながら,これを利用する風潮は,社会が安定し,人口も増加した江戸時代に入ってからである。庶民の生活のための燃料や米などの生産のための肥料を確保するための入会山(いりあいやま)の制度が定着し,一方,徳川幕府直轄の山林や各藩が支配する御林の制度ができた。御林は幕府や藩の用材林であり,みずからの使用に供するほか,財源ともなり,特定の材は一般の伐採を厳禁し,薪炭材などの生活用材のみの伐採を許した。…
…(1)近世の領主直轄林(御林(おはやし))のうち,とくに林相のすぐれた山林の範囲を限り,住民の立入りを禁制した保護林。留林,建山(たてやま),禁林ともいう。…
…54年(承応3)の尾張藩の新田開発の方針中でも,地方知行のうちから林野を蔵入地化する方向が示されている。 第2の方策は,林野の全面的蔵入地化のもとで幕藩営林(御林(おはやし),御山,御林山,御直立,御立山,御札山,鹿倉山など)を設定し,これを農用林野から峻別する方向をとる。農用林野から分離した幕藩営林への農民の立入りには〈木一本,首一本〉といわれる過酷な制裁を加え,他方,農用林野には山年貢,秣場年貢を賦課して領主権の掌握下にある農民の林野利用を確認した。…
※「御林」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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