御立村(読み)みたちむら

日本歴史地名大系 「御立村」の解説

御立村
みたちむら

[現在地名]姫路市船津町ふなつちよう

上野うえの村の北に位置し、いち川中流左岸の沖積地と中位段丘および西光寺さいこうじ野の台地上に立地する。集落は御立地区と大沢おおざわ地区からなる。天正一九年(一五九一)九月一日の宮脇みやわき村正八幡神社の祭礼奉納神事相極次第(正八幡神社文書)に「練り相撲 御立村・溝口村」「御輿舁酌取 御立村」とある。慶長国絵図にも村名がみえる。正保郷帳では田方三八八石余・畑方六八石余。天保郷帳では高六七四石余。承応三年(一六五四)姫路藩御立組の大庄屋が置かれた。


御立村
みたちむら

[現在地名]姫路市御立西みたちにし一―六丁目・御立中みたちなか一―八丁目・御立東みたちひがし一―六丁目・御立北みたちきた一―四丁目・北夢前台きたゆめさきだい一―二丁目

飾西しきさい郡に所属。夢前川の左岸に位置し、南は田寺たでら村。「播磨鑑」によると、江戸時代中期には書写山の東を流れる小塩おしお(現在の夢前川)南西流して青山あおやまで夢前川(現在の菅生川)と合流しているが、かつては御館みたち(御立村)から南流し、今宿いまじゆく村から「広村」(現在の広畑地区)へと落ちていたという。この流路の付替は江戸初期の姫路藩第一次榊原氏時代のことという。寛延三年(一七五〇)の村明細帳(置塩家文書)では置塩おしお(小塩川)当村北西では川幅六〇間ほどで、蒲田飯田・中島の各組のうちからなる安室やすむろ郷一一ヵ村の入会となっている。


御立村
みたちむら

[現在地名]豊田市御立町・美里みさと神池かみいけ

矢作川の東岸で、久澄橋と鵜の首うのくび橋の中間点に位置する。「御館」とも記す。文久二年(一八六二)の村絵図によると、西側を矢作川が流れ、それに平行して小さなウグイス川と無名の川が流れている。集落は極楽ごくらく寺を中心に形成され、東側の山に至るまで大きく平場が開けている。山すそにはサル池・カニ池・十本松池など五ヵ所の溜池が開発され、弁才天・山神・八王子・稲荷の各社とも平地にあり、山上にあるのは秋葉宮だけである。

御立町には市塚いちづか古墳・市塚北古墳がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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