問屋制家内工業(読み)といやせいかないこうぎょう

精選版 日本国語大辞典 「問屋制家内工業」の意味・読み・例文・類語

といやせい‐かないこうぎょうとひやセイカナイコウゲフ【問屋制家内工業】

  1. 〘 名詞 〙とんやせいかないこうぎょう(問屋制家内工業)

とんやせい‐かないこうぎょう‥カナイコウゲフ【問屋制家内工業】

  1. 〘 名詞 〙 初期資本主義で、小生産者商業資本家から生産手段や資金を前借りし、自分の住居で生産を行なう形態。

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改訂新版 世界大百科事典 「問屋制家内工業」の意味・わかりやすい解説

問屋制家内工業 (といやせいかないこうぎょう)

封建社会の末期から機械制大工業成立以前に多くみられる,商人による生産支配の工業経営形態。商人たる問屋が手工業者や農民などの小生産者に原料や時には道具をも前貸しして加工させ,加工賃を支払って製品を買い占める。この場合,小生産者は実質的に独立性を失って賃金労働者と同じ地位におちる。日本において問屋制家内工業の形態が出現してくるのは19世紀初頭である。江戸時代中期以降,農民による農産物加工業の商品生産は各地に特産物という形で発展して製品を遠隔地に販売し,原料も遠隔地から買い集めることが多かった。このため小生産者は流通過程を商人に依存せざるをえなくなり,ほぼ19世紀の初めころから問屋制家内工業の形態をとるものが多くなった。絹織物では,1810年代以降桐生に高機(たかばた)が普及し,それとともに前貸問屋制が展開し,ややおくれて足利も同じ段階に達した。丹後でも同じころ宮津絹商人や江州長浜の生糸商人による歩機(ぶばた)・懸機(かけばた)という形態での問屋制が普及した。綿織物業も和泉,尾西,知多,武蔵,備前,伊予,越中など各地に発展したが,幕末から明治前期にかけての生産形態は,マニュファクチュアを分出した尾西・和泉地方を除けば,問屋制家内工業が支配的であった。武蔵や足利などでは,木綿商人の織元(出機屋)が原料糸に縞見本をそえて織工や農民に賃織させた。開港前にマニュファクチュアを展開した尾西地方などでも,開港後明治10年代ころまでは問屋制家内工業が支配的となった。蚕糸業は信夫,伊達,上野,信濃,甲斐,武蔵などを中心に開港後急速に発展し,商人の手に集められた繭が周辺農民に賃引きされ,座繰器を賃貸される〈出し釜〉とよばれる問屋制度が一般化した。明治中期以降,上からの育成によって機械制の紡績工場や製糸工場が成立すると,織物業はこれらの産業資本の支配下に編成されてその収奪をうけるようになる。この段階の問屋制度を資本家的家内労働という。
家内工業
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「問屋制家内工業」の意味・わかりやすい解説

問屋制家内工業
といやせいかないこうぎょう
putting-out system 英語
Verlagssystem ドイツ語
commandite industrielle フランス語

問屋とは物品の買入れ、販売の取次ぎをする企業家のことをいう。その企業家が市場における大量の需要を目当てに、自らが生産に乗り出すのではなく、多くの零細な家内労務者に生産を委託する企業体制を問屋制家内工業という。問屋が、単に製品の直接間接の買占め人である場合、高利貸をも兼ねて、生産者に貸しをつくり負債と引き換えに製品を買いたたく場合、原料や生産用具を前貸しして、生産者をいっそう従属させる場合などがある。生産者は自宅内に仕事場をもち、多くの場合、生産用具は自分のものであるから、形のうえでは独立した小生産である。だが、資本力が弱く商人企業家に頼らざるをえないこと、商人企業家の市場支配力に依存して製品を販売しなくてはならないこと、このような経済事情から、実質的には賃金労働者に似た従属関係に置かれる。

 問屋制家内工業は、前近代の自営的手工業と、近代の機械制大工業の中間にある過渡的な企業形態である。技術の面では手工業の水準にありながら、市場が拡大し、流通面の有力者が経済活動の指導者でありえた時代だったからである。ただし、家内工業の生産者が、封建制社会のなかでどのような位置にいるのか、その社会での都市手工業者の勢力がどの程度か、市場関係が遠隔のものか近隣のものか、などの社会的、経済的事情により、問屋制家内工業の強弱や、そこから機械制大工業への移行の速度が決められた。

[寺尾 誠]

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百科事典マイペディア 「問屋制家内工業」の意味・わかりやすい解説

問屋制家内工業【といやせいかないこうぎょう】

問屋(商人資本)が原料,道具,貨幣等を貸し付けて労働者や農民などの小生産者に生産させ,製品を買い取り販売する経営形態。封建末期〜資本主義初期に繊維工業や鉱業に発達。商人が資本家に転化する形態で,手工業者が資本家となる形態(マニュファクチュア)と対立。
→関連項目家内工業工業産業革命地場産業問屋

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「問屋制家内工業」の意味・わかりやすい解説

問屋制家内工業
とんやせいかないこうぎょう

中世的手工業から近代的工業への移行期の初期資本主義において,最も多くみられた小商品生産の形態。問屋制度は,一般的には原材料を前貸しし,生産物を買占めるというのが普通である。問屋制家内工業は,小商品生産者の自立性が失われつつも,彼らが生産用具を所有することによって形式的な自立性をなお保っているような状態に成立する。これは初期資本主義の過程において最も多く存在したもので,マニュファクチュアとも共存していた。このような商人資本は産業革命を経た機械制大工業の登場によって,基本的には消滅することになったが,マニュファクチュアは完全に消滅しても,問屋制家内工業は部分的に下請制 (→下請制度 ) という形態で残存している。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「問屋制家内工業」の解説

問屋制家内工業
といやせいかないこうぎょう

江戸~明治期に小生産者の営む家内工業が,前貸制度を通して特定問屋に隷属させられた形態。自己の住宅内で自己の道具を用いて家族労働を中心に特定商品の生産に従事する形態が,商品経済の発展に巻き込まれた結果,特定有力問屋の支配下に隷属し,原料・道具などの前貸をうけて製品を生産し,問屋に納めて加工賃をうけとるという形態に転化した。この形態は賃挽(ちんびき)・出機(だしばた)制として製糸業や織物業の分野などで早くからみられ,明治期に入って近代工業が発展したのちも,その周辺部に多く残されて現在に至る。

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旺文社日本史事典 三訂版 「問屋制家内工業」の解説

問屋制家内工業
といやせいかないこうぎょう

江戸時代,商業資本の前貸しをうけ,これに従属して生産を営む家内工業
江戸後期から出現。製品の買受人である問屋が生産者に生産用の資金・原料・器具を貸付け,製品の買付・販売を独占。生産者の独立性は失われ,問屋から工賃を得て生産する賃労働者の地位に置かれた。18世紀初期の生糸・絹織物生産に早く現れ,幕末,各部門に拡大した。

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世界大百科事典(旧版)内の問屋制家内工業の言及

【家内工業】より

…一般的には自宅の作業場で家内労働を中心に営む小規模の工業経営をいうが,歴史的には,商人(問屋)から供給される原材料や半製品を自宅で賃加工する問屋制家内工業を指す。作業が労働者の〈家庭〉で行われるので,英語では〈ドメスティック・インダストリーdomestic industry〉というが,問屋が仕事を〈下請けに出す〉ので〈プッティングアウト・システム〉とも呼ばれる。…

【産業】より

…小売手工業から卸売手工業への移行である。不特定多数を目あてとしての商品生産は商人なしには不可能であり,工業はしだいに商業に依存するようになり,商人が問屋として工業を支配する問屋制家内工業が成立した。これは問屋商人といわれる大商人が手工業者に原料や道具を貸与し手間賃を払って生産させた手工業品を売る形態である。…

【問屋】より

…後者は資力の乏しい職人が問屋より原料や道具を貸与されて手間賃をかせぐ場合であった。この場合,問屋は自己の計算で加工工程を掌握することになり,いわゆる問屋制家内工業を営んでいることになる。たとえば大坂,行田の足袋問屋はこれに当たる。…

※「問屋制家内工業」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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