デジタル大辞泉 「忍辱」の意味・読み・例文・類語 にん‐にく【忍▽辱】 仏語。六波羅蜜の第三。侮辱や苦しみに耐え忍び、心を動かさないこと。忍辱波羅蜜。 出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例 Sponserd by
精選版 日本国語大辞典 「忍辱」の意味・読み・例文・類語 にん‐にく【忍辱】 〘 名詞 〙 ( [梵語] kṣānti の訳語 ) 仏語。耐えしのび、怒りの気持を起こさないこと。種々の苦難や迫害に耐え、安らぎの心を持つこと。また、その修行の徳目である忍辱波羅蜜(にんにくはらみつ)をいう。[初出の実例]「法師の性、忍辱人に過ぎ、唐皇に重みせらる」(出典:日本霊異記(810‐824)上) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
普及版 字通 「忍辱」の読み・字形・画数・意味 【忍辱】にんじよく・にんにく 辱めをしのぶ。〔晋書、列女、杜有道の妻厳氏(憲)伝〕(杜)預、秦州の刺と爲り、誣(ふ)せられてせらる。、預に書を與へて之れを戒めて曰く、に曰ふ、辱して三に至ると。~能く之れをばば、三は是れの坐ならんと。字通「忍」の項目を見る。 出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報 Sponserd by
朝日日本歴史人物事典 「忍辱」の解説 忍辱 英彦山の伝説上の開山者。俗称は藤原恒雄。九州の霊山,英彦山は北魏僧の善正と忍辱が開いたとされる。善正は北魏の孝武帝の子で,孝武帝が宇文泰に殺される3年前に日本に渡来し,継体25(531)年,豊後国日田(大分県日田市)の狩人,藤原恒雄と出会い,英彦山を開いた。藤原恒雄はこのとき出家して,名を忍辱と改め,英彦山霊仙寺の第2世となる。崇峻2(589)年,82歳で死去したと伝える。修験道霊山の開山者となる僧には,在地の狩人が案内者として付き従うことが多く,山の神を祭った狩人を実質的な開山者とみなすことができる。<参考文献>『彦山縁起』 (川村邦光) 出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「忍辱」の解説 忍辱 にんにく 「鎮西彦山縁起」にみえる伝説上の僧。継体天皇25年(531)狩人の藤原恒雄は,英彦山(ひこさん)(大分・福岡県境)で北魏(ほくぎ)(中国)の孝武帝の子善正に殺生戒をおしえられ,ふたりで英彦山をひらいたとされる。恒雄は出家して名を忍辱とあらため,霊山寺(りょうぜんじ)2世となったという。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
動植物名よみかた辞典 普及版 「忍辱」の解説 忍辱 (ニンニク・ニニク) 学名:Allium sativum植物。ユリ科の多年草,園芸植物,薬用植物 出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報 Sponserd by