太平記忠臣講釈(読み)タイヘイキチュウシンコウシャク

デジタル大辞泉 「太平記忠臣講釈」の意味・読み・例文・類語

たいへいきちゅうしんこうしゃく〔タイヘイキチユウシンカウシヤク〕【太平記忠臣講釈】

浄瑠璃時代物。10段。近松半二三好松洛らの合作。明和3年(1766)大坂竹本座初演。「仮名手本忠臣蔵」などの先行作を参考に、赤穂義士仇討あだうちを脚色したもの。

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精選版 日本国語大辞典 「太平記忠臣講釈」の意味・読み・例文・類語

たいへいきちゅうしんこうしゃく‥キチュウシンカウシャク【太平記忠臣講釈】

  1. 浄瑠璃。時代物。一〇段。近松半二・三好松洛・竹田文吾・竹田小出雲らの合作。明和三年(一七六六)大坂竹本座初演。赤穂義士の復讐を「太平記」の世界に擬して脚色したもの。忠臣蔵物中、「仮名手本忠臣蔵」に次いで著名四段目の石切り勘平、七段目喜内住家が名高い。

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改訂新版 世界大百科事典 「太平記忠臣講釈」の意味・わかりやすい解説

太平記忠臣講釈 (たいへいきちゅうしんこうしゃく)

人形浄瑠璃近松半二三好松洛,竹田文吉,竹田小出雲,筑田平七,竹本三郎兵衛作。1766年(明和3)10月大坂竹本座初演。10段。《仮名手本忠臣蔵》などの先行作を換骨奪胎したものであるが,多くの〈忠臣蔵物〉の中でも代表作の一つに数えられ,《東海道四谷怪談》や《裏表忠臣蔵》など,のちの諸作品に大きな影響を与えた。(1)第一 将軍足利直義に帝の宣旨を伝えるべく,勅使が鎌倉御所に下向饗応の任に当たった塩冶判官は,諸式の指南役高師直の機嫌を損ね,数々の恥辱を受けてついに刃傷に及び,即日,切腹を命じられる。(2)第二 国家老大星由良之助は,その悲報とともにもたらされた形見短刀を見て,仇討の決意を固める。(3)第三 相(あい)家老斧九太夫は,かねてから師直に心を通わしていたのみならず,金蔵から御用金を盗み出し,その責を負って早野三左衛門は切腹。大星は九太夫の悪を暴いて詰め腹を切らせ,天河屋義平に夜討の支度を依頼する。(4)第四 九太夫の後家お礼は大星を敵とねらい,助太刀のため,石屋の五郎太郎を婿にする。五郎太郎は,実は三左衛門の子早野勘平。彼は,お礼母娘が九太夫の妻子と知って切腹。大星はその志に感じて,勘平を仇討の連判に加える。(5)第五 判官の弟で石堂右馬之丞の養子縫殿之助(ぬいのすけ)は,兄の鬱憤を晴らすため,わざと放蕩に身を持ち崩して養父から勘当される。大星はその心を汲み,死んだ勘平の名を名のらせて連判に加える。(6)第六 矢間重太郎は国元を出奔して師直の様子を探る。残された妻のおりゑは,病気の舅喜内と一子太市郎を抱え,貧苦のため辻君に出,非人姿の重太郎に出会う。(7)第七 重太郎は仇討出立のため暇乞いに帰宅。太市郎を殺して後顧の憂いを断ち,おりゑもまた自害する。喜内は別れの盃をさして門出を祝う。(8)第八 山科に隠棲する大星のもとに,足軽寺岡平右衛門が訪れ,仇討の供を願う。大星はその赤心を確かめたうえ,士分に取り立てて供を許す。(9)第九 訴人のために捕らえられた義平は,師直にへつらう薬師寺治郎左衛門からひどい拷問を受けるが,夜討ち支度の注文主の名を明かさない。業を煮やした薬師寺は,子の由松を責め殺す。石堂は薬師寺の非を咎め,義平を預かる。(10)第十 仇討は成功。縫殿之助は元の身分に戻り,義平は釈放される。そして薬師寺は,石堂のもとに報告に来た平右衛門に斬り殺されている。
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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「太平記忠臣講釈」の解説

太平記忠臣講釈
たいへいき ちゅうしんこうしゃく

歌舞伎・浄瑠璃の外題。
作者
近松半二 ほか
補作者
河竹新七(1代) ほか
初演
明和4.2(江戸・市村座)

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世界大百科事典(旧版)内の太平記忠臣講釈の言及

【太平記物】より

…なお,明治以降には,《高時》(《北条九代名家功》),《大森彦七》《女楠》など,のちに新歌舞伎十八番の中に入れられる諸作が,河竹黙阿弥や福地桜痴の手によって作られた。また,その他,近世には,幕府をはばかって,赤穂浪士の敵討や由井正雪の事件を《太平記》の世界に仮託,脚色するという方法が一般化し,前者に当たるものとしては,1710年大坂竹本座の《兼好法師物見車》および《碁盤太平記》,48年(寛延1)8月竹本座の《仮名手本忠臣蔵》,66年10月竹本座の《太平記忠臣講釈》,由井正雪の事件を扱った作品では,1759年(宝暦9)9月竹本座の《太平記菊水之巻》などが演ぜられている。ただし,それらは,太平記物とは別に,忠臣蔵物,由井正雪物として扱われるのが普通である。…

【忠臣蔵物】より

… この2作から直接影響を受けて作られたのが,1748年(寛延1)8月に竹本座で初演された名作《仮名手本忠臣蔵》である。これに次いで名高いのは《太平記忠臣講釈》(1766年10月竹本座)で,以後の浪士劇は,何らかの意味で,この両作の影響下に置かれている。代表的なものとしては,人形浄瑠璃に《忠臣後日噺》(1772年4月大坂北堀江市ノ側芝居),《いろは蔵三組盃》(1773年7月大坂北新地芝居),《忠臣伊呂波実記》(1775年7月江戸肥前座),《本蔵下屋敷》(1878年4月大阪大江橋席)などがあり,歌舞伎には《義臣伝読切講釈》(《忠臣連理廼鉢植》,1788年(天明8)3月大坂北堀江市ノ側芝居),《いろは仮名四十七訓(もじ)》(弥作の鎌腹,1791年9月大坂角の芝居),《裏表忠臣蔵》(蜂の巣の平右衛門,落人,宅兵衛上使,1833年3月江戸河原崎座),《仮名手本硯高嶋》(赤垣源蔵徳利の別れ,1858年5月江戸市村座),《忠臣蔵後日建前》(女定九郎,1865年閏5月江戸中村座),《稽古筆七いろは》(鳩の平右衛門,1867年8月市村座),《伊呂波実記》(松浦の太鼓,1878年9月大阪戎座),《土屋主税》(1907年10月大阪角座)などのほかに,4世鶴屋南北の《東海道四谷怪談》(1825年7月中村座)のような外伝仕立ての傍系作があり,また,近代のものとしては,真山青果の《元禄忠臣蔵》が名高く,かつ優れている。…

※「太平記忠臣講釈」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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