成島司直(読み)ナルシマモトナオ

関連語 武夫 山本

精選版 日本国語大辞典 「成島司直」の意味・読み・例文・類語

なるしま‐もとなお【成島司直】

  1. 江戸末期の幕府奥儒者一人。「徳川実紀」の編纂者。文化六年(一八〇九)大学頭林述斎総裁のもとに「御実紀」の稿を起こし、嘉永二年(一八四九)に献上した。天保一二年(一八四一)一二代将軍家慶に政治上の封事を奏上、功により諸大夫となる。故実に詳しく、著に「改正三河後風土記」「琉球録話」など。安永七~文久二年(一七七八‐一八六二

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「成島司直」の意味・わかりやすい解説

成島司直
なるしまもとなお
(1778―1862)

江戸後期の儒者。通称邦之助(くにのすけ)、のちに邦之丞(じょう)。18歳で奥儒者見習となり、1813年(文化10)奥儒者に任じられ、1843年(天保14)免職されるまで幕府の儒官を勤める。1809年より総裁林述斎(はやしじゅつさい)のもと『徳川実紀』の編纂(へんさん)に従い、1843年正本を完成。1841年には諸大夫(しょだいぶ)(五位のこと)となる。博学で、ことに日本の歴史・故実に精通した。『改正三河後風土記(みかわごふどき)』(1833成立)などを著す。

[玉懸博之 2016年6月20日]

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改訂新版 世界大百科事典 「成島司直」の意味・わかりやすい解説

成島司直 (なるしまもとなお)
生没年:1778-1862(安永7-文久2)

江戸後期の幕府儒官。通称は邦之助,邦之丞。号は東岳,翠麓。父は幕府儒官の衡山。1795年(寛政7)奥儒者見習となり,大番格,奥儒者を務め,1809年(文化6)から《徳川実紀》編纂に従事し,また意見封事を奉り,41年(天保12)には諸大夫(しよだいぶ)となり図書頭と改めた(勤役中500俵および役料300俵)。43年に理由は不明であるが謹慎を命ぜられた。著書に《改正三河後風土記》《鴻台三戦記》《琉球録話》《老(おい)のくりごと》などがある。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「成島司直」の解説

成島司直 なるしま-もとなお

1778-1862 江戸時代後期の儒者。
安永7年2月15日生まれ。成島衡山の子。幕臣。奥儒者。文化6年より「徳川実紀」の編修を担当し,天保(てんぽう)12年諸大夫(しょだいぶ),図書頭。14年免職謹慎となった。文久2年8月13日死去。85歳。江戸出身。字(あざな)は邦之。通称は豊之助,邦之助(丞)。号は東岳,翠麓。著作に「東の春」「改正三河後風土記」「琉球(りゅうきゅう)録話」など。

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367日誕生日大事典 「成島司直」の解説

成島司直 (なるしまもとなお)

生年月日:1778年2月15日
江戸時代後期の儒学者;歌人
1862年没

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世界大百科事典(旧版)内の成島司直の言及

【徳川実紀】より

…516冊(本編447冊,付録68冊,成書例・総目録・引用書目1冊)。大学頭林述斎を総裁とし,成島司直(もとなお)を主任格に20名余の編纂員で撰述し,1809年(文化6)起稿,43年(天保14)に完成。正本献上につづいて副本が作成され,49年(嘉永2)に完成。…

※「成島司直」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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