押川春浪(読み)オシカワシュンロウ

デジタル大辞泉 「押川春浪」の意味・読み・例文・類語

おしかわ‐しゅんろう〔おしかはシユンラウ〕【押川春浪】

[1876~1914]小説家愛媛の生まれ。本名方存まさあり冒険小説有名。著「海底軍艦」「武侠の日本」「新日本島」など。

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精選版 日本国語大辞典 「押川春浪」の意味・読み・例文・類語

おしかわ‐しゅんろう【押川春浪】

  1. 小説家。本名方存。「海底軍艦」「武侠日本」「新日本島」などの軍事冒険小説を著わす。明治九~大正三年(一八七六‐一九一四

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「押川春浪」の意味・わかりやすい解説

押川春浪
おしかわしゅんろう
(1876―1914)

大衆児童文学の作家。キリスト教界の元老、押川方義(まさよし)の長男として、明治9年3月21日、愛媛県松山に生まれる。本名は方存(まさあり)。春浪の雅号は、師とした巌谷小波(いわやさざなみ)より与えられた春波の一字を変えたもの。少年時代から父に反発して学校の転退校を繰り返し、東京専門学校(早稲田(わせだ)大学の前身)在学中の1900年(明治33)に書いたSF空想科学小説)的な冒険小説『海底軍艦』で青少年層の人気を得、たちまち流行作家となったが、大正3年11月16日、38歳で病没した。処女作から『武侠(ぶきょう)の日本』(1902)、『新造軍艦』(1904)、『新日本島』(1905)などと続く六部作のほか、数多くの作品がある。自身が「武侠小説」とよんだ春浪の小説は、侵略的なナショナリズムとSF的な趣向とを特徴としており、その後の大衆児童文学に大きな影響を及ぼした。

上笙一郎

『『日本児童文学大系3 押川春浪集』(1978・ほるぷ出版)』『『近代文学研究叢書15 押川春浪』(1960・昭和女子大学)』

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20世紀日本人名事典 「押川春浪」の解説

押川 春浪
オシカワ シュンロウ

明治期の冒険小説家



生年
明治9年3月21日(1876年)

没年
大正3(1914)年11月16日

出生地
愛媛県松山市小唐人町

本名
押川 方存(オシカワ マサアリ)

学歴〔年〕
東京専門学校(現・早稲田大学)英文科・政治科卒

経歴
東京専門学校在学中の明治33年「海島冒険奇譚 海底軍鑑」を刊行し、その前後に刊行した「ヘーグの奇怪塔」と共に、冒険小説家として名をなす。以後「地底の王冠」「南極の怪事」「武俠の日本」「新日本島」などを次々に発表。37年博文館に入社し「日露戦争 写真画報」主幹となる。41年「冒険世界」を創刊し「怪人鉄塔」を連載。44年博文館退社。45年には「武俠世界」を創刊するなど、少年冒険小説作家として活躍した。また、スポーツ社交団体・天狗倶楽部を結成し、スポーツ振興に尽力、特に野球を第2国技にしようと奨励した。「春浪快著集」(全4巻)がある。

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改訂新版 世界大百科事典 「押川春浪」の意味・わかりやすい解説

押川春浪 (おしかわしゅんろう)
生没年:1876-1914(明治9-大正3)

明治時代の冒険小説作家。本名方存。キリスト教界の名士方義の長男として松山に生まれた。父の布教のため,新潟,仙台など各地を転々とした後,東京専門学校(現,早大)法科を卒業。在学中に著し,巌谷小波の紹介で刊行した《海底軍艦》により多くの少年読者を熱狂させた。その後,博文館の《少年世界》《中学世界》にSF的な冒険小説を続々と発表,日露戦争へと突入する情況を背景に,ナショナリスティックな夢をうたいあげた。博文館に入社後,《日露戦争写真画報》《冒険世界》の編集に従事。退社後,1912年《武俠世界》を創刊,〈武俠小説〉に彼自身のロマンを追い求めたが,若くして病没。《春浪快著集》全4巻に代表作を収録。
執筆者:

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朝日日本歴史人物事典 「押川春浪」の解説

押川春浪

没年:大正3.11.16(1914)
生年:明治9.3.21(1876)
明治時代の小説家。本名は方存。キリスト教教育家押川方義,常子の長男。愛媛県松山生まれ。父の伝道に伴われて東北などに赴き,明治学院,東北学院,札幌農学校,水産講習所などを経て,明治31(1898)年東京専門学校(早大)英文科,さらに34年に同政治科を卒業。在学中に執筆した『海底軍艦』が,明治33年巌谷小波の推薦によって出版され,少年読者をとらえる。37年,日露戦争とともに博文館に入り,『日露戦争写真画報』の主筆となり,戦後は41年に『冒険世界』を創刊。44年に退社して翌年『武侠世界』を創刊。冒険小説家の草分けになるとともに,スポーツを好み,ことに野球の振興に力を注いだ。著作集に『春浪快著集』全4巻(1916~19)がある。<参考文献>『明治少年文学集』(明治文学全集95巻)

(佐伯順子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

百科事典マイペディア 「押川春浪」の意味・わかりやすい解説

押川春浪【おしかわしゅんろう】

明治期の冒険小説家。本名方存。愛媛県松山生れ。父は日本基督公会設立者の押川方義(まさよし)〔1849-1928〕。東京専門学校(現,早稲田大学)法科卒。巌谷小波(さざなみ)の紹介で1900年刊行された冒険小説《海底軍艦》は異常な人気をもって迎えられ,以後空想力に富んだ冒険小説を続々発表。1904年博文館に入り《日露戦争写真画報》を編集,また《冒険世界》の主筆となり,冒険小説を少年文学の一ジャンルとして確立させた。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「押川春浪」の解説

押川春浪 おしかわ-しゅんろう

1876-1914 明治-大正時代の小説家。
明治9年3月21日生まれ。押川方義(まさよし)の長男。東京専門学校(現早大)在学中にかいたSFの元祖とされる「海底軍艦」が巌谷小波(いわや-さざなみ)にみとめられ人気作家となる。のち博文館の「冒険世界」主筆をへてみずから「武侠世界」を創刊。大正3年11月16日死去。39歳。愛媛県出身。本名は方存(まさあり)。作品に「千年後の世界」「海底宝窟」など。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「押川春浪」の意味・わかりやすい解説

押川春浪
おしかわしゅんろう

[生]1876.3.21. 松山
[没]1914.11.16. 東京
小説家。本名,方存。東京専門学校に学び,在学中に書いた『海底軍艦』 (1900) で認められ,『武侠の日本』 (02) ,『新日本島』 (06) など,日露戦争前後の時代相を背景とした一連の冒険小説で多くの青少年読者を集めた。野球の鼓吹,私娼の廃絶などにも活躍したが,30代には読者が離れ,晩年は不遇だった。

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367日誕生日大事典 「押川春浪」の解説

押川 春浪 (おしかわ しゅんろう)

生年月日:1876年3月21日
明治時代の小説家
1914年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の押川春浪の言及

【海底軍艦】より

押川春浪の代表的冒険小説のシリーズ。全六部作で《海底軍艦》(1900),《武俠の日本》(1902),《新造軍艦》《武俠艦隊》(ともに1904),《新日本島》(1906),《東洋武俠団》(1907)よりなる。…

※「押川春浪」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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