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関山慧玄 カンザンエゲン

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デジタル大辞泉の解説

かんざん‐えげん〔クワンザンヱゲン〕【関山慧玄】

[1277~1360]南北朝時代臨済宗の僧。信濃の人。俗姓、高梨氏。鎌倉の建長寺に入り、のち、京都大徳寺宗峰妙超に師事し、その法を継承。妙心寺の開山となる。無相大師

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

関山慧玄 かんざん-えげん

1277-1361* 鎌倉-南北朝時代の僧。
建治(けんじ)3年生まれ。臨済(りんざい)宗。鎌倉建長寺南浦紹明(なんぽ-じょうみん)について修行。のち京都大徳寺宗峰妙超(しゅうほう-みょうちょう)(大灯国師)に師事してその法をつぐ。元徳2年美濃(みの)(岐阜県)伊深に隠棲したが,花園上皇にまねかれ妙心寺開山(かいさん)となった。延文5=正平(しょうへい)15年12月12日死去。84歳。信濃(しなの)(長野県)出身。俗姓は高梨。

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朝日日本歴史人物事典の解説

関山慧玄

没年:延文5/正平15.12.12(1361.1.19)
生年:建治3(1277)
鎌倉末期から南北朝期の禅僧。臨済宗京都妙心寺の開山である。信州(長野県)の出身で,鎌倉建長寺の南浦紹明につき修行し,京都紫野の大徳寺で 宗峰妙超 に師事し嗣法する。美濃(岐阜県)の伊深に隠棲していたが,花園上皇が花園の離宮を禅院として妙心寺を開創するにつき宗峰妙超の推挙により開山となる。しかし,慧玄はまもなく妙心寺を出るが,観応2(1351)年妙心寺に再住する。禅の修行を第一にした禅僧で,妙心寺の経営には関知せず,方丈(自室)の雨漏りを見て修繕費用の寄進を申し出た高梨氏に対し,二度とくることはならないといい,袈裟の鐶は藤の蔓を用いたなどの話が伝えられている。語録や頂相(肖像)などは残っていない。延文5(1360)年84歳で寂するが,慧玄は旅支度をして授翁宗弼に行脚に出るといい,妙心寺の風水泉という井戸のそばの樹の下で訓戒を述べ(「無相大師遺誡」),それが終わると立ったまま息をひきとり亡くなったという。<参考文献>荻須純道『日本中世禅宗史』

(竹貫元勝)

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世界大百科事典 第2版の解説

かんざんえげん【関山慧玄】

1277‐1360(建治3‐正平15∥延文5)
鎌倉末・南北朝の臨済宗の禅僧。京都の妙心寺の開山。信濃の高梨氏の出身で,同家は信濃源氏の一系といわれ,また禅宗との関係もあり,関山がはじめに学んだ禅僧月谷宗忠は叔父であったと伝えられる。1307年(徳治2)鎌倉の建長寺に入り南浦紹明(大応国師)にあい慧眼の名をもらい,南浦寂後も鎌倉にあって物外可什,巨山志源などに参禅して修行した。その後信濃に帰り,27年(嘉暦2)建長寺開山大覚禅師(蘭渓道隆)五十年忌出席のため再び建長寺に行き,西来院での宿忌(しゆくき)法要にのぞみ,そこで某僧から宗峰妙超(大灯国師)を教えられた。

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大辞林 第三版の解説

かんざんえげん【関山慧玄】

1277~1360) 南北朝時代の臨済宗の僧。信濃の人。関山は号。慧玄は諱いみな。のち大徳寺の妙超に学び、その法を継いだ。花園上皇に招かれ、妙心寺の開山となる。本有円成ほかの国師号の勅諡を受け、無相の大師号を追諡された。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

関山慧玄
かんざんえげん
(1277―1360)

南北朝初期の僧。臨済宗妙心寺派の祖。信濃(しなの)(長野県)中野の城主高梨(たかなし)氏の二子として出生、鎌倉建長寺の広厳庵(あん)で東伝士啓(とうでんしけい)について出家。1307年(徳治2)大応国師南浦紹明(なんぽじょうみょう)より慧眼の名を受けて修行したが、のち京都紫野(むらさきの)大徳寺の大燈(だいとう)国師宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)に参じ、30年(元徳2)雲門文偃(うんもんぶんえん)がただ一字で学人を接得した「雲門の関字」の公案により悟りを開き、関山慧玄の名を与えられ、大燈の法を嗣(つ)いだ。37年(延元2・建武4)花園(はなぞの)上皇が離宮を禅刹(ぜんさつ)に改めたとき、招かれて開山となり、寺名を正法山(しょうぼうざん)妙心寺とした。師の法系を「応・燈・関の一流」といい、すこぶる重視されている。後世、明治天皇より無相大師と追諡(ついし)された。著述に『関山和尚(おしょう)百則公案』1巻がある。[鈴木格禪]

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世界大百科事典内の関山慧玄の言及

【妙心寺】より

…花園上皇は大徳寺開山の宗峰妙超(しゆうほうみようちよう)(大灯国師)に参禅して禅要をきわめていたが,1337年(延元2∥建武4)妙超が病臥すると,その離宮の萩原殿を寺に改め,住持の推挙と寺号の命名を妙超に求めた。妙超は法嗣の関山慧玄(かんざんえげん)を推し,正法山妙心寺と名づけたのが当寺の起源である。慧玄は権力に接近することを嫌い,修業第一に徹し,清素な生活の中で峻厳枯淡の禅を追求したが,この開山の禅風はその後の当寺の伝統となった。…

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