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藤原宣房 ふじわらののぶふさ

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

藤原宣房
ふじわらののぶふさ

[生]正嘉2(1258).京都
[没]?
鎌倉時代末期~南北朝時代初期の廷臣。万里小路宣房ともいう。資通の子。文永8 (1271) 年従五位下。蔵人頭などを経て,嘉元3 (1305) 年参議,後二条天皇の崩御とともに官を辞したが,後醍醐天皇が即位すると登用され権中納言となる。

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デジタル大辞泉の解説

ふじわら‐の‐のぶふさ〔ふぢはら‐〕【藤原宣房】

[1258~?]鎌倉末期の公卿。別名、万里小路(までのこうじ)宣房。後醍醐天皇の厚遇を受け、吉田定房北畠親房とともに、後(のち)の三房(さんぼう)と称された。のち出家。日記「万一記(まんいつき)」がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

藤原宣房 ふじわらの-のぶふさ

万里小路宣房(までのこうじ-のぶふさ)

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

大辞林 第三版の解説

ふじわらののぶふさ【藤原宣房】

1258~?) 鎌倉後期の廷臣。大納言。家名は万里小路までのこうじ。後醍醐天皇の信厚く、吉田定房・北畠親房ちかふさとともに「後のちの三房」と称される。正中の変では鎌倉に赴き事件を落着させる。日記「万一記」

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

藤原宣房
ふじわらののぶふさ
(1258―?)

万里小路(までのこうじ)宣房ともいう。鎌倉末期の公卿(くぎょう)。資通(すけみち)の子。従(じゅ)一位、大納言(だいなごん)。数代の天皇に仕え、俊才の名高く、後醍醐(ごだいご)天皇の寵遇(ちょうぐう)を受け、またよく天皇を補佐し、吉田定房(さだふさ)、北畠親房(きたばたけちかふさ)とともに後の三房(さんぼう)といわれた。1324年(正中1)討幕の密議が露顕した正中(しょうちゅう)の変に際し、天皇の告文(こうもん)をもって鎌倉に赴き、弁明して事件を落着させた。31年(元弘1)元弘(げんこう)の変で、笠置(かさぎ)で天皇とともに子息藤房(ふじふさ)が北条方に捕らえられたとき、一時拘禁されたが、名望あるゆえ許され、光厳院(こうごんいん)に出仕を命ぜられた。33年建武(けんむ)新政なると、後醍醐天皇によって、光厳院に仕えた公卿が多く免職になったなかで、とくに本官に復され、新設の雑訴決断所(ざっそけつだんしょ)の頭人(とうにん)となったが、36年(延元1・建武3)足利尊氏(あしかがたかうじ)の京都攻めのころ出家し、その後の動静は不明。鎌倉末、公武対立期の知性派公家(くげ)の代表といわれる。その日記を『万一記(まんいつき)』という。[飯倉晴武]

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